ダンテ『神曲』を読む

 最近、本屋さんに行くと数種類のダンテ『神曲』が並んでいて気になります。平川祐弘訳が読みやすそうで、図版も多く、つい買ってしまいました。  「人生の道の半ばで 正道を踏みはずした私が 目をさました時は暗い森の中にいた。」  人生の道の半ばとは三十五歳のことで、時は西暦1300年春のことだそうです。東洋では蒙古が日本へ遠征した時代であり、ダンテはマルコ・ポーロの同時代人です。  高齢者の範疇に入った私が、人生の道の半ばとは言えませんが、何となく気分はまだそんな感じです。暗い森の中にいることに変わりはないのですから・・・。  もう五十年も本を読んできましたが、たいして読めていない、あれも読みたい、これも読みたいと気がせきます。もう、とっくに人生の道の半ばは過ぎてしまっているのに・・・。 #「ダンテ『新曲』一日一歌」https://otomoji-14.seesaa.net/article/2014-09-03.html

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音をつくる

 先日、指揮者のフランス・ブリュッヘンが他界されました。もう二十年も前にわたしの住む地方で、彼の率いる「18世紀オーケストラ」と共に公演しました。演目はベートーヴェン「コリオラン序曲」と「田園」だったと思います。 オーケストラの実演などほとんど初めての経験だったのですが、第一音が鳴った瞬間、なんとキッチリとそろって音がでるもんだと驚愕した記憶があります。 ふだん、ラジオやCDで音楽を聴いていると、きっちり枠内におさまっていて、完全にデジタルにコントロールされているという感じがしますが、実演では百人もの人々が、それぞれ一個ずつ楽器を持って、手足口を使って音を造っているのがよく分かります。あくまでも身体を動かして音楽ができてくるのです。 ただ会場では、プログラムをめくる音や、隣のおばさんの寝息や、一斉の咳ばらいなどの色々な音にも取り囲まれています。そういう意味でも、実演はいたって身体的です。 フランス・ブリュッヘン指揮「18世紀オーケストラ」の完璧とも思える音のコントロールは、猥雑な日常の音のなかで、なにか音の結晶のように聞こえました。 #「音列の記憶」https://otomoji-14.seesaa.net/article/2017-04-10.html

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音楽のことなど

 行き先は変わりましたが、車でやはり35分位の通勤を30年間続けています。朝夕の車のなかでラジオを聴くのが習慣になっています。FMにスイッチを入れると、大抵は音楽の途中から聴くことになります。ときには、到着しても曲が終わらないで、誰の、何という曲なのか分からずじまいのこともあります。 ただ音楽を聴いていて、気持ちのいい曲だとラジオで知ったのは、想いだすとヴィラ=ロボス「ブラジル風バッハ」、モーツァルト「弦楽四重奏曲 K.421」、フランク「ヴァイオリン ソナタ」などがすぐに思い浮かびます。 十数年前、毎週、ラテン音楽を紹介する番組があって、数年間、熱中して中南米の音楽を聴いていたことがあります。アフリカとスペイン、ポルトガルやモンゴロイドが出会ってできた刺激的な音楽です。映画「タンゴ レッスン」のサントラCDでもいい唄が聴けます。 音楽にしろ何にしろ、異文化が出会って新しいものが生まれる。人間関係にしろ、アイデアにしろ。常に回路を開いて、活動的であることを忘れないでいたいものです。  #「キューバのこと」https://otomoji-14.seesaa.net/article/2016-11-29.html

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過疎の町で

 お盆休みが過ぎて、子供達はそれぞれ仕事にもどり、夏休みの孫がひとり残りました。夫婦二人の生活になんとなく活気がでます。過疎化の進みつつある町で海につかったり、魚釣りをしたり、少年は活力を発揮しています。 夜になって、他県に住む次男夫婦とFace Time というネット・TV電話を試してみました。音声・画像ともクリアで、互いの顔色が見えて安心できます。高齢者の安否確認や遠隔診断にも利用できそうです。 たしか以前は、IT時代になると何処でも仕事ができるので、都市に集中しなくてもよくなるというような話しがありましたが、どうなったのでしょう。 大規模災害の可能性を考えると、多極に分散した社会のほうが安全と思われます。やはり、とりあえず東京の人口を五百万人にして、五百万人を地方に分散できるように構造改革したいものです。 #「集中と分散」https://otomoji-14.seesaa.net/article/2018-09-11.html

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過疎化について

 お盆休みになって子供達が帰省してきました。色々な話しのなかで、今年の3月でわたしの出た小学校が廃校になったことを話し、わたしの子供のころは日本の人口は八千万人くらいだったのに、一億二千万人にも人口が増えたのになぜ、小学校が廃校になるのか・・・? 大都市への人口集中が良くないから、東京の人口を政策的に五百万に減らして、残った五百万人を地方に分散させる必要があると意見を述べると、子供達二人は、まったく反対の意見でした。 地方に残った老人を都市に集める必要があるというのです。 公共交通網の整った都市でないと医療にもかかれないし、食事もままならなくなるとのことです。それに、費用対効果の乏しい道路やライフラインなどの無駄なインフラ整備・管理に膨大なコストがかかり、とても将来の日本は支えきれないとのことです。 子供達とまったく考えが違っているのには驚きました。 そういえば家内は以前からデパチカの傍で暮らすのが夢のようです。 限界集落に残った老人たちを収集車が集めにくる近未来の夢を見そうな気がします。  #「近未来予想図」https://otomoji-14.seesaa.net/article/2020-01-31.html

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