くさめの季節

 やっと明るい日ざしになって、梅畑も満開です。例年より十日ほど遅いようです。スギ花粉も飛び始めたようで、ときおりクシャミが出ます。インフルエンザから花粉症の季節に移行したようです。  英語圏ではクシャミをすると、周囲のひとが Bless you と声をかけるそうです。クシャミをすると、口から魂が抜け出ていくので、神の加護を祈ってくれるのだそうです。  上代、日本では、クシャミをすることを「鼻ひる」と言ったそうです。鼻ひると早死をするという俗信があって、そのとき「クソハメ(糞食め)」と呪文を唱えると、災いから免れられるとされたそうです。   「クソハメ」・・「クサメ」・・「クシャミ」と変化してきたということです。『徒然草』には、乳母として育てた若君のために「くさめ くさめ」と言いながら歩く尼のはなしがあるそうです。 (堀井令以知『ことばの由来』岩波新書)  一つ褒められ 二つ憎まれ 三つ惚れられ 四つ風邪をひくと言われますが、現代では 五つアレルギー を追加する必要がありそうです。 #「過敏症と不耐症」https://otomoji-14.seesaa.net/article/2017-02-14.html

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鳥のこと

 すっかり春らしくなってきました。戸外では鳥の鳴き声がしています。最近は鳥は恐竜に含まれるそうです。6600 万年前に絶滅したと考えられていた恐竜は、トリとして生き延びていたそうです。  こどもの頃、兄がメジロを飼っていました。近くの店では「鳥もち」を売っていました。異様に粘いガムのようなもので、細い竿の先に塗り付けて、鳥をくっつけて捕獲します。  家の庭にはモチの木がありました。樹皮には鳥もちを作ったためか、古い傷がありました。むかしは漁師が魚をとるように、鳥を捕る仕事があったようです。モーツァルトの歌劇『魔笛』には鳥刺しというのが出てきます。 もちろん現在では捕獲は禁止されています。  こどもたちもザルを仕掛けてスズメを捕まえようとしました。成功した憶えはありませんが・・・。 大人になるまで、焼き鳥はスズメだと思っていました。  歳時記を編纂したような、博識な山本健吉が『ことばの歳時記』(角川ソフィア文庫)で、ホトトギスについて  <あれほど日本の詩歌に詠まれた鳥なのに、その声を聞いたという確信がないのは、恥しいようなものである。>   と告白しています。 わたしも聞いたことがなかったので、安心しました。  今日は仕事の帰り、梅畑では三分ほど咲いていました。このまま温暖になってほしいものですが、また寒くなるそうです。   磯ちどり足をぬらして遊びけり (蕪村)   #「夏は来ぬ」https://otomoji-14.se…

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かすみとパン

 窓からの日差しが明るいので、外に出てみましたが、風はまだ冷たいです。本を読んでいると、気象用語では霞という言葉はないそうです。「霧」と、それより薄いのは「もや」ということです。  ひさかたの天の香具山この夕べ霞たなびく春立つらしも(柿本人麻呂)  万葉集の歌ですが、人麻呂より千年もあとの松尾芭蕉は  春なれや名もなき山の朝がすみ  と詠んでいます。 芭蕉のころには万葉集は、あまり知られていなかったようですが、「天の香具山」と「名もなき山」、「夕べ」と「朝」、いかにも俳諧的な工夫に思えます。なにか二人をつなぐ、本歌取りの歌があったのでしょうか。ただ、「朝がすみ」を「薄霞」とするものもあるようですが・・・。  はやく暖かくなってほしいと思いながら、寝ころんで本をみています。 かすみを食って生きているわけではありまんが、パンはグルテンのせいか食べられません。たまには美味しいパンも食べたいものです。 #「霧の匂い」https://otomoji-14.seesaa.net/article/2014-10-25.html

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身につまされる演奏

 音楽はビミョウなもので、演奏者によって「いいなぁ〜」と思えるときと、からだになじまない場合とがあります。  ひと月ほどまえ、CD屋さんに、W.バックハウスのピアノ演奏、K.ベーム指揮、ウィーン・フィルでブラームス「ピアノ協奏曲 第2番」というのが並んでいました。 たしか名盤として案内書などに取りあげられていた記憶がありました。  しかしどうも、バックハウスの演奏というのは、いままでしっくりと聴きほれた憶えがありません。そのまま CDは買わずに帰って、自宅にある、いいと思う E.ギレリスのピアノ、 E.ヨッフム指揮、ベルリン・フィルの演奏を取り出してみました。やっぱり生気があって、つやがあって、よい曲だなと感じ入ります。  この演奏よりもっと良い演奏とはどんなんだろうと、興味がわいてきます。バックハウスはスタインウェイではなく、ベーゼンドルファーのピアノを弾くので、ウィーン・フィルの弦楽器の音によく合うのだと書かれています。  次に CD屋に出かけたとき、つい誘惑にまけて、先の CDを買ってしまいました。 どんなかな・・・と耳をかたむけてみました。 やはり、どこか遠いところで鳴ってるような、なんとなく体にそぐわない感じがぬぐえません。 録音のせいなのか、再生装置のせいなのか・・・なんとも不可解な気持ちになります。 身につまされる演奏として聴こえてこない・・・また、なにかのきっかけで、感じが変わることがあるのでしょうか・・・。 #「パルテイータの楽し…

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ひとりし思へば

 数日来、北陸地方では雪が降り続いているようです。国道 8号線では 1500台もの車が立ち往生したとのことです。 豪雪というのは経験がないので、想像もできません。  このあいだから読んでいた 藤井一二『大伴家持 波乱にみちた万葉歌人の生涯』(中公新書)によると、家持は天平十八年(746) 、29歳のとき越中国守に任命され、今の富山県高岡市で 5年間を暮らしています。  天平勝宝五年 (751) 年は正月から雪が多く、積雪は四尺にもおよんだそうです。   零る雪を 腰になづみて 参り来し 験もあるか 年のはじめに  また、42歳のとき因幡守として、いまの鳥取市に赴任していた天平宝字三年 (759)には   新しき 年の始めの 初春の けふ降る雪の いや重け吉事 と詠んでいます。  官僚として各地を点々としていますが、天平宝字八年 (764)には薩摩守で、中央政府での恵美押勝(藤原仲麻呂)の乱に関わらずにすんでいるようです。  65歳で陸奥鎮守将軍となり、延暦三年 (784)に東北の多賀城に出向いています。そして翌年、68歳で他界しています。著者は家持は多賀城でなくなったと推測しています。 その年、中納言 藤原種継の暗殺事件があり、関わった人物として大伴家持の名が挙がっているそうです。 家持の子息 大伴永主は隠岐に流罪になっています。  大納言 大伴旅人の子として生まれ、政争のなか、宮仕えし、歌人として万葉集の編…

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