はやり病の今昔
今シーズンは新型コロナウイルスの陰に隠れて、インフルエンザは少なく、一昨年の半分程だったようです。記録的な暖冬や、マスク・手洗いの普及した効果でしょうか。
明治23年(1890)2月14日の『東京日日新聞』は「インフルエンザ」の「初渡来」という見出しで、「昨年来欧米諸国に於て猖獗を逞ふせしインフルエンザ病」の感染が横浜でも広がり始めたことを伝えているそうです。岡本綺堂によれば、当時の人は江戸時代に倣って「お染風」と呼んでいたとのことで、家の軒に「久松留守」と書いた札を貼り付けるのが流行ったそうです(氏家幹人『江戸の病』講談社選書メチエ)。
夏目漱石の「三四郎」は高熱を出して寝込み、往診の医者にインフルエンザと診断され、頓服を飲んで、なるべく風に当たらない様にしろと云われます。『三四郎』が朝日新聞に連載されたのは、明治41年(1908)なので、そのころには既にインフルエンザという言葉も一般的になっていたようです。因みにバイエル社がアスピリンを販売し始めたのが 1899年なので、文中の「頓服」はアスピリンなのかもしれません(現在ではインフルエンザにアスピリンは原則禁止のようですが)。
インフルエンザと思われる病気は紀元前のヒポクラテスの時代からあるようで、日本でも『日本疾病史』の富士川游は江戸時代だけでも 27回の流行があったと指摘しているそうです。享保元年(1716)、吉宗が八代将軍となった年の流行では、江戸だけで8万人が亡くなったようです。
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