おかしな英語のなりたち

  ことばの成り立ちを知るのはおもしろいものです。日本語がどんな風にできたのかは難しい問題のようですが、長男の子供が中学生になったので、英語の歴史を振り返ってみようと、本箱からジェーン・サーノフ『絵本 英語辞典』(青山南訳 晶文社)を取り出してみました。  <紀元前 55年に、ローマの将軍ジュリアス・シーザーがヨーロッパ海岸の沖合にある島を征服しました。この島をシーザーは Britain (ブリテン)と名づけましたが、ここで暮していたのはケルト人たちでした。かれらがつかっていたことば、つまりケルト語の名残りはいまでもアイルランドやスコットランドやウェールズ地方の一部で聞くことができます。>  Alan,Allan,Allen, Kenneth, Murray, Yvonne などはケルト人の名前だそうです。  400年ほどして配置されていたローマ人は出て行ったのですが、彼らはケルト人と付き合わなかったので、ローマ人の使っていたラテン語はほんの少ししか残っていず、ほとんど軍隊生活に関するもの、castle(砦) のようなことばだけだそうです。  <守ってくれていたローマの軍隊がいなくなると、ケルト人たちの豊かな畑や土地はノースマンたちやデーン人やピクト人たちに侵略されました。そこでケルト人は、北海の向こう側で暮していたゲルマン人系の民族、つまりアングル人とサクソン人に助けをもとめました。>  200年もたたないうちに、ブリテン島にはケルト人よりアン…

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バッタとイナゴ

  むかし信州へ旅行した帰りに、小魚の佃煮を買ったつもりだったのですが、帰って開けてみると、飴色の虫がぎっしり詰まっていました。間違って隣にあったイナゴの佃煮を取ってしまったようです。いまだに脚を屈して並んでいた虫の姿が目に浮かびます。  日本では「蝗」という漢字をイナゴと読みますが、漢字の実体はトノサマバッタやサバクトビバッタのことのようです。『虫の文学誌』(奥本大三郎著 小学館)によると・・・  <これらのバッタは、通常は緑色で翅(はね)が比較的短い「孤独相」と呼ばれる姿をしていて、単独で生活しているが、一定の環境の中で、多数の個体が爆発的に発生すると、翅が長く、色の黒い「転移相」、そしてその傾向のさらに進んだ「群生相」というものになり、群れをなして移住を開始する。これが飛蝗(ひこう)である。> とのことです。更に、  中国の『宋史』によれば、乾徳2年(964)河南省安陽市付近で発生した飛蝗の群れの大きさは 22×11 Kmにもなったそうです。飛蝗は天を覆い日を遮り、暴風雨さながらの轟音にとざされ、通過した後は、緑という緑が食い尽くされ、見渡す限りの裸地になってしまうそうです。  ちょうど今、サバクトビバッタの大群がアフリカからインドにかけて大移動しているようですが、旧約聖書の時代から、蝗害は各地で度々記録されており、飢饉の原因になっているようです。  日本の古典で「虫」といえば、秋の鳴く虫ですが、キリギリスやコオロギなどと同じようにバッタや…

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フランスの公爵さま

  本箱を眺めていると、ラ・ロシュフコオ『箴言と考察』(内藤濯訳 グラフ社)という本が目にとまりました。1983年3月に買っています。猛暑の午後、ページを繰っていると、いろんな箴言に苦笑させられます。  <精神の疵(きず)は、顔の疵と同じように、年をとるにつれてひどくなる。>  たしかに、年とともにデフォルメされた似顔絵のように、性格が強調されていくような気がします。頑固になったり、怒りっぽくなったり、だらしなくなったり。人は年齢を重ねて円熟するというのは幻想なんでしょうか・・・。年譜をみるとラ・ロシュフコオは戦争で顔面を負傷していたようです。  <大きな欠点をもつことは、偉い人間に限られていることだ。>  よい人、人間のできた人と思われるような人はあんがい、大業は成し得ないようです。傍にいたくない、一緒に仕事はしたくないと思われるような人こそ可能性がある。全部ではないにしても。  <弱い人は、率直であり得ない。>  ごもっとも。  <優しそうに見える人は、通常、弱さだけしかもっていない人だ。そしてその弱さは、わけなく気むずかしさになり変わるのだ。>  好々爺然としていながら、気難しいのは、年老いた弱さに起因するのか。これは男性にも女性にも当てはまるのだろうか?  <老人は好んでよい訓(おし)えを垂れるが、それは、もう悪い手本を人に見せることが出来なくなったことを、みずから慰めようとする所存からのことである…

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セミの文学誌

  久しぶりに本屋さんに行きたくなり、どこがいいか、あるていど本が有って人の少ないところと考え、お城の前の書店へ出かけました。あちこちの棚を眺めながら、物色していましたが、これと思うものがなく、まあいいかと諦めかけた時、ふと奥本大三郎『虫の文学誌』(小学館)という本が目にとまりました。  奥本大三郎は虫好きなフランス文学者で、今まで何冊か読んで楽しめたので買ってみました。近年は『ファーブル昆虫記』の翻訳という大業に取り組んでいたためか、しばらく彼の新著は見かけませんでした。帰って早速、ペラペラとページを繰ってみると、たとえばセミについて、こんなことが書いてありました。  <セミを捕まえようとすると、「ちっ」と鳴いて、小便を引っ掛けて飛び立つ。そのため、南仏などでは、利尿剤として処方されてきたという。セミを干しておき、尿の出にくくなった人に煎じて飲ませたのだそうである。「知らない間に私も飲まされたかもしれない」と晩年、尿毒症に苦しんだファーブルが書いている。>   そして俳句や川柳を挙げ・・・   蟬に出て蛍に戻る納涼(すずみ)かな (横井也有)   とかまると地声になつて蟬はなき (川傍柳四)  セミの生態を・・・<フランスでは、ロワール川から南の、リヨンあたりからセミが鳴き始める。それより北では、冬の地中温度が低過ぎて、幼虫が生きていけないようである。/そのためセミは、南フランスの象徴となっている。>・・・と書き  また、<セミの詩…

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