トンボの秋

  やっと秋らしい気温になってきましたが、雨が降ったり曇ったり、天候が不順でした。今週からは安定した青空が見られるようです。赤トンボが群れて飛ぶ姿が眺められるかもしれません。   さわやかに流れて来てはひるがへり     風にい向ふ蜻蛉(あきつ)の群(むれ)は (中村三郎)  赤トンボにもいろいろな種類があるようですが、秋によく見るアキアカネは6月中旬ころに水田などでヤゴから一斉に羽化し、その後、不思議なことに平地からは姿を消し、涼しい高原や高山に移動するそうです。色も成熟するまでは淡い褐色だそうです。  秋の訪れとともに避暑を終え、成熟して平地に下りてきます。赤い雄と一部が赤い雌が一列に連結して飛ぶ姿も見られ、また輪になった姿も見られ、水辺で産卵します。  アキアカネは羽化後、そのまま暑い平地で過ごすと早く成熟して産卵、孵化してしまい、越冬できない。卵で越冬するために猛暑を涼しい高原ですごし、卵巣の成熟を抑制し、産卵の時期を秋に延ばしているのだそうです。  氷河期に大陸から南下して、日本各地に分布したタイリクアキアカネが、その後の温暖化で日本列島が大陸から切り離され、取り残されたのがアキアカネなんだろうということです。(唐沢孝一『目からウロコの自然観察』中公新書)  『日本書紀』では、神武天皇が丘に登り、国を眺め、狭い国だが、蜻蛉(あきつ)が交尾したような形だと言ったそうで、それが秋津洲(あきつしま)という名のおこりだそうです。縦に…

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サンマの歌

 今年もサンマは不漁のようです。末広恭雄『魚の履歴書』(講談社)を見てみると、サンマは北緯20度-55度の北太平洋にだけ生息しているようです。8月の頃には北海道から千島近海でたむろしているが、9月に入ると、産卵のために群れをなして北海道の南海岸近くを通過し、青森、宮城、千葉・・・と本州の太平洋岸近くを南下するのだそうです。  サンマは光に集まる性質が特に強く、<真暗な海上を進みながら、船の前部の探照灯で明るい光をさっと投げる。光が群れに当ると、びっくりしたサンマたちが一メートルも盛り上がる。三〇センチもあるサンマが何百もひっきりなしにはね上がり、光に反射して噴水のような美しさだ > そうです。  『和漢三才図絵』の 49巻には「伊賀大和土民は好んでこれを食べるが、魚中の下品である」と書いてあるそうですが、落語で将軍が賛嘆する「目黒のさんま」はよく知られています。昭和29年1月25日の毎日新聞には、中目黒2丁目802番地に、将軍家光にサンマを供した茶屋の爺さんの十一代目が実在しているとの記事があるそうです。     「秋刀魚の歌」 (佐藤春夫)   あはれ   秋風よ   情(こころ)あらば伝へてよ   —— 男ありて   今日の夕餉(ゆふげ)に ひとり   さんまを食(くら)ひて   思ひにふける と。     (後略)  たしか JR紀伊勝浦駅で、この詩碑を見た記憶があるのですが、もう 45年ほどまえなので確かではありません。 <さんま、さ…

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明治の美人

 今朝は涼しくて秋の気配です。テレビでは次の首相が話題になっています。どうも団塊の世代の人が優勢なようです。かって横浜の市会議員をしていたそうです。団塊の世代は若い頃、政治の季節がありましたが、なぜか政治の表舞台で活躍した人は少ないように思います。  幕末から明治にかけて活躍した人には天保生まれの人が多いそうです。天保は 15年(1830-44)続きますが、たとえばこんな具合です。  吉田松陰、大久保利通 天保元年生まれ  松本良順 天保3年  木戸孝允 天保4年  近藤 勇 岩崎弥太郎 福沢諭吉 天保5年  坂本龍馬 土方歳三 松平容保 天保6年  榎本武揚      天保7年  板垣退助 徳川慶喜 天保8年  山縣有朋 大隈重信 天保9年  高杉晋作 天保10年  久坂玄瑞 天保11年  伊藤博文 天保12年  大山 巌 天保13年  陸奥宗光 天保15年  そんな中で、天保8年、江戸・谷中茶屋町にお倉という女性が生まれます。長谷川時雨が『明治美人伝』で <・・・新宿富倉楼の遊女であって、後の横浜富貴楼の女将となり、明治の功臣の誰れ彼れを友達づきあいにして、種々な画策に預かったお倉という女傑がある。> と書いている人です。  鳥居民『横浜富貴楼 お倉 明治の政治を動かした女』(草思社)はそんな女性の伝記風の読み物です。幕末から明治初期にかけての世間のようすが窺えます。  お倉は6歳のとき家業が成り立たなくなり、一家は離散し、浅草…

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萩の物語

 3週間ほどまえの毎日新聞の書評欄に、詩人の荒川洋治が三浦哲郎の短篇集を取りあげたなかに、戦後日本の最上の短篇小説としてこんなのを挙げていました。  中野重治「萩のもんかきや」  佐多稲子「水」  耕治人「一条の光」  深沢七郎「おくま嘘歌」  安岡章太郎「サアカスの馬」  吉行淳之介「葛飾」  三島由紀夫「橋づくし」  田中小実昌「ポロポロ」  色川武大「百」  阿部昭「天使が見たもの」  短篇小説はひとの好みがそれぞれで、勧められて読んでみても、どこが面白いのかさっぱり分からないことがあります。「萩のもんかきや」はどんな話かなと興味がわいて、本箱を探してみると、岩波文庫『日本近代短篇小説選 昭和篇3』に入っていました。昭和31年10月に発表されたものだそうです。わたしが小学2年生のときです。  荒川洋治はわたしと同年代のはずですから、時代感覚は似たものだろうと思い、どんなものを最上と感じるのかにも興味がありました。  萩といえば、わたしも去年の秋に下関へ出かけた帰りに立ち寄りました。オレンジ色の石州瓦の村落をいくつも通り過ぎて、地の果てかと思われる、ひっそりと閉ざされたような町でした。そんな中に夏みかんの成る武家屋敷があり、高杉晋作の生家とか、少し離れて松下村塾などが点在していました。    中野重治の「萩のもんかきや」のなかにはこんな場面が出てきます。萩の町を散策していた主人公がふと見かけた菓子屋に入る。 < 私は甘いものが…

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七赤金星はツムジ曲り

 今日から9月です。南方の海上を大きな台風が北上しています。ここ数日、朝は少し気温が下がってきましたが、これからは台風の季節になるのでしょう。   野分して蟬の少なき朝(あした)かな (子規)  正岡子規が生まれたのは慶応3年で、徳川慶喜が大政奉還し、坂本龍馬が暗殺されたような年です。どういう訳か才能というのは一時に、かたまって出現することがあるようで、夏目漱石、南方熊楠、幸田露伴、宮武外骨、尾崎紅葉、斎藤緑雨なども慶応3年生まれです。  坪内祐三『慶応三年生まれ七人の旋毛曲り』(マガジンハウス)は、そんな七人の関わりを時代とともに経年的に、絵巻のように書き表した愉快な本です。たとえば  夏目漱石は、<何でも私と新渡戸氏とは隣り合つた席に居たもので、その頃から私は同氏を知つてゐた> と語っており、漱石は成立学舎という予備校で新渡戸稲造と一緒に英語を学んだそうです。千円札と五千円札が予備校で並んでいたとは愉快です。  南方熊楠は和歌山から、<出京して共立学校に入った時、高橋是清先生が毎日、ナンポウと呼ばるるので生徒を笑わせ、ランボウ君と言わるるに閉口した。> と語っており、熊楠は予備校で高橋是清に英語を習っていたそうです。半年後には、同じ学校に松山から上京してきた正岡子規も入学しています。  熊楠は正岡子規について、<当時正岡は煎餅党、僕はビール党だった。もっとも書生でビールを飲むなどの贅沢を知っておるものは少なかった。煎餅を齧っては、やれ…

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