ネアンデルタール人の面影

   昨日はインフルエンザ・ワクチンを打ってもらいました。病気の予防という面では、ワクチンは手っ取り早く効果が期待できます。天然痘はワクチンのおかげで撲滅できました。千円札になった夏目漱石の顔は修正されていますが、実際は子供の頃に罹った天然痘でアバタだらけだったそうです。  はしか(麻疹)ももう少しでワクチンで抑え込めるかも知れません。昔は「はしかのようなもの」という言葉が「若い人が何かに一時的にかぶれる状況」の比喩として使われる程、はしかはありふれていましたが、今でははしかを知る人はまれになっています。  ヨーロッパでは新型コロナが再度、猛威を振るっています。この波がまた日本にやってくるのかどうか不安な気持ちになります。ただ、ヨーロッパ人での発生頻度が東アジア人に比べて桁違いに多いのには、何か原因があるのか興味があります。昨日、昼食会の席で毎日新聞のこんな記事が話題になりました。  遺伝子を解析し、ネアンデルタール人とわたしたち人類には交配があったことを示した S.ペーボが最近、新型コロナの重症化に関わる遺伝子型がネアンデルタール人から受け継いでいるものだと報告したというのです。  その遺伝子型はヨーロッパ人では16%が保有し、南アジア人では50%持っているのに対し、東アジア人ではほとんど保有していないそうです。新型コロナの重症化の地域差の背景に絶滅したネアンデルタール人の遺伝子が関与しているという深遠な話です。  遺伝子型によって顕著な地域差が…

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ススキ原で

 先日、秋の晴天を、かっての同僚と生石(おいし)高原に出かけてみました。標高 870メートルの頂上付近は一面のススキ原です。ここに初めて登ったのは1967年の春で、大学の新入生歓迎ハイキングでした。当時は海南から野上電鉄というのがあって、終点の登山口駅から歩きました。今回は道がよくなっているので山上の駐車場まで車で行きました。  なんとなく風景の感じは覚えていましたが、はるか西北に大阪湾が見渡せます。これだけのススキ原が毎年見られるのは、早春に山焼きをしているからだそうです。  日浦勇『自然観察入門 草木虫魚とのつきあい』(中公新書)には <人間の伐採・火入れなどで裸の土地ができた場合、ススキ草原→アカマツ林→カシ・シイ林、いいかえれば、草原→陽樹林→陰樹林という変化が長年月のうちに進行する。> とあります。  ススキやアカマツの種子はパラシュートや羽をもっていて、風にのって遠く広くひろがれるのに対し、ドングリの転がる範囲は狭い。そしてススキは数年で成長し、アカマツは数十年かかる。(山焼きをすれば毎年、ススキ原になる)  ところが、ススキは日当たりを好むから、アカマツが育てば日陰になって衰退する。また、カシやシイの幼木は暗い林床でも生長できる陰樹であるのに対し、アカマツの幼木は日当たりがよくないと生長できない陽樹なので、カシ・シイが育つと日陰になってアカマツは生長できず、最終的にはカシ・シイの林になるのだそうです。遷移という現象です。 …

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ありしながらの

  台風 14号はやっと遠のいたようです。降り続いた雨も止んで、空が明るくなってきました。やれやれです。  今日は母の命日です。37年前に 70歳で他界しました。体育の日で、ちょうどいま住んでいる家の棟上げの日で、前日、「明日は棟上げなんで来れないかもしれない」と病室で話したのが最後の会話となりました。わたしは 34歳でした。  母は大正2年(1913)に淡路島で生まれ、6人兄弟の長女でした。11歳のとき母親が他界し、以後は継母に育てられています。下3人の弟は腹違いです。  女学校時代の母親の日記を読んだことがありますが、「鉦鳴らし信濃の国を行き行かば ありしながらの母見るらむか(窪田空穂)」という歌が書き写されていました。教科書にでも載っていたのでしょう。  父親との結婚について、「エライひとと結婚せんならんようになったと思ったが、この人でないと家業がやっていかれへんとついていった」と言っていました。長女としての気持ちだったのでしょう。  長兄が神戸の高校に通っていたとき、5歳くらいだったわたしは母親に連れられて兄の体育祭を見学しました。あの時、母親は 40歳くらいだったのでしょう。  そういえば今日は、1964年の東京オリンピックの開会式のあった日です。当時 51歳だった母親は東京で勤めていた長男に呼ばれて、何の競技だったかは忘れましたが、見物に出かけました。なんとなく母親と長男というのは、また違った親密さがあるのでしょう。 …

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こころに残る外国の短篇小説

   トランプ大統領の新型コロナ感染には驚きましたが、賭けごとの大好きなイギリスではきっと、大統領選挙のゆくえが賭けの対象になっていることでしょう。  ロアルド・ダール(1916-1990)という英国の作家には「南から来た男」という賭けをテーマにした短篇小説があります。 <(前略)アンタが、その有名なライターでつづけて十回、一度もミスしないで火がつけられるかどうか、ワタシはできない方に賭ける」/「じゃ、できる方にぼくは賭けましょう」> 金持ちという「ワタシ」は車のキャディラックを賭け、若者の「ぼく」は左手の小指を賭けるというトンデモナイはめになる・・・。『あなたに似た人』(ハヤカワ文庫)という短篇集に入っています。  文庫のあとがきに訳者の田村隆一は、作家・都筑道夫の文章を引用しています。 そこで <わたしの考えている奇妙な味の短篇ベスト5>として都築が挙げているのは・・・   「開いた窓」 サキ   「夢判断」 ジョン・コリア   「死んだガブリエル」 A.シュニッツラー   「蛇」 J.スタインベック   「南から来た男」 ロアルド・ダール  こんな取り合わせです。小説の好みは人それぞれでしょう。では、わたしは外国の短篇小説ではどんなのが心に残っているのか?  思い返してみます。   サマセット・モーム「雨」   モーパッサン「脂肪の塊」   チェーホフ「六号室」   魯迅「阿Q正伝」   ヘッセ「小人」  どうもいたって普通…

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