『目玉』の短篇小説

   人に会わない生活などといえば、本でも読むか音楽でも聴くくらいしか思い浮かびません。あいにく目が疲れるので、映画など画面に映るものは長くは観ていられません。自然といつも何か面白そうな本はないかと物色してしまいます。    以前、新聞で詩人の荒川洋治が戦後の最上の短篇小説のひとつとして、吉行淳之介「葛飾」を挙げていたので、調べてみると、1989年に出た『目玉』という短篇集に入っているのが分かったので、古書を取り寄せました。  『目玉』(新潮社)には「大きい荷物」、「鋸山心中」、「目玉」、「鳩の糞」、「百閒の喘息」、「いのししの肉」、「葛飾」という七篇の短篇が収められています。昭和 55年から平成元年にかけて雑誌に発表したものを集めたものです。  吉行淳之介といえば、わたしが学生のころ買っていた「群像」という雑誌にその頃、「暗室」という小説を連載していました。同じ頃、その雑誌で読んだ柏原兵三「徳山道助の帰郷」、清岡卓行「朝の悲しみ」、丸谷才一「中年」などの小説は今でも印象に残っています。1968年前後のことです。  『目玉』に入っている小説は、身辺雑記、思い出などを綴ったもので、エッセイといえばそれでも通るようなもので、さしたる筋があるわけではありません。  たとえば「鋸山心中」は、しぶり腹になってトイレに通うという書き出しから、故郷・岡山の「大手饅頭」が絶品だという話になり、子供のころ祖母から聞いたーー便所での狐の悪戯をとっちめた饅頭屋の主人が …

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ひょっこりひょうたん島の住人

 井上ひさしといえばテレビの人形劇「ひょっこりひょうたん島」の原作者の一人ということが思い浮かびますが、没後十年になって、『発掘エッセイ・セレクション 小説をめぐって』という本が出たと毎日新聞の書評欄にあったので買ってみました。演劇や小説やら何やら、よく目立つ人だったのですが、わたしは全く読んだことがなかったので、何か読んでみようと思っていたので、つい食指が伸びた次第です。  何というか本は断簡零墨を集めたような内容でした。いろんな文章を繋いでみると、本名は井上廈と書くそうです。「ひさし」と読んでくれた人は一人もいなかったそうです。「なつ」、「か」、「あもい」、ひどいのは「ぞうり」と読むのかねと言った厚生省の役人がいたそうです。  ラジオ・ドラマの台本を書いている間は、井上廈でよかったのですが、テレビの時代になって、画面で読めないので「井上ひさし」と書くようになったそうです。  昭和9年(1934)、山形県の最上川沿いの小松という所で生まれています。大凶作のときには、近くの村では「娘さんを売る前に、役場に相談してください」と村中に貼り出すような所だったそうです。  中学三年の秋から高校卒業の春まで、仙台市郊外のラ・サール・ホームというカトリック系の児童保護施設に居ました。 <あの松の梢を渡る風もさわやかな丘の上の数棟には、日本国の大人が見放した日本国の子どもに惜しみなく愛を与えていた人たちがおられたことはたしかである。>と書き <春はいやな季節だった。/春に…

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忘れられた楽器

  アルペジオーネという忘れ去られた楽器がありました。ウィーンの楽器製作者が 1823年に考案した弦楽器で、ギターのように指板にフレットがあり、6弦でチェロ(4弦)のように弓で演奏しました。チェロより高音域がひきやすく、渋い甘美な音色だったそうですが、音量が小さかったようです。  1824年、シューベルトは依頼されてこの楽器のためにソナタを作曲しました。「アルペジオーネ・ソナタ イ短調」です。しかしアルペジオーネという楽器は数年で忘れられてしまいました。現在ではチェロで演奏されることが多く、まれにビオラやフルートが用いられるようです。  わたしはもう 30年近く前、テレビの番組で確か石井宏という人が、ミッシャ・マイスキー(チェロ)とマルタ・アルゲリッチ(ピアノ)によるこの曲の演奏を勧めていたのを聞いて、早速CDを買い求め、以来愛聴しています。  シューベルトらしい哀愁を帯びた歌心がチェロの深い響きで流れ、またハンガリー風のリズムが弾みます。歌曲集『冬の旅』のように行き暮れた寂しいシューベルトを聴くのは堪りませんが、生気のある音楽は日常のこころの糧になります。いろいろな演奏者で聴いてきましたが、マイスキーとアルゲリッチの組み合わせは情感が深くて繊細だと感じています。  小説家の宮城谷昌光が「私が理想とする演奏に、マイスキーとアルゲリッチでもとどいていないが、ほかの盤をかなり聴いたところ、すべてこの演奏より下である。いまはこの盤しかないといっておく。こういうい…

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日本人の来た道

 わたしたち日本人が何処からやって来たのかは興味あるテーマです。人類学では各地で古人骨を発掘・収集し、それらの計測データを比較検討して推測するのが常道でした。20世紀末になって分子生物学が発展し、古人骨にも遺伝子(DNA)が残存していることが分かり、遺伝子の変異を時代別・地域別に調べることによって、人々の移動の過程がたどれるようになりました。  1983年、試料中のDNAを多量に増幅させるPCRという技術が発明されました。映画『ジュラシック・パーク』が公開されたのは 1993年でした。2000年には次世代シークエンサーという一度に大量のDNA配列が読み取れる装置が開発され、一気に研究が進展しました。  篠田謙一『新版 日本人になった祖先たち DNAが解明する多元的構造』(NHKブックス)は DNA解析で分かった〝日本列島に暮らす人々がいつ何処からやって来たのか” を最近の知見に基づいて、分かりやすく解説しています。縄文人、弥生人、アイヌの人たち、沖縄の人たちの由来とそれぞれの関係を推測しています。 (礼文島 縄文時代後期女性DNA解析による復元像)  現生人類は 20万~15万年前にアフリカで誕生し、約6万年前にどういう訳かその内の一部の人がアフリカを出ます。そこで先に出ていた亜種のようなネアンデルタール人と交配しながら、ヨーロッパに現れたのは 4万5000年前です。アジアに向かった集団が東アジアやオーストラリアにたどり着いたのが 4万7000年程前で、1万35…

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夢の島

  所用があって淡路島に帰郷してきました。飛び石の休みなので人出が多いかと思いましたがそれ程ではありませんでした。1年半ぶりに西浦の道を通りましたが、いつのまにか新しい建物が建って、若者が行列している店が何軒もありました。ケーキ屋さんとかレストラン、ホテルなどで、海沿いのひなびた休耕田の中に、周囲の景観とは不釣り合いにポツンと立っています。  実家の兄に「変わった店がポコポコ建ってるね」と言うと、休日は店に入る車で大渋滞になるんだそうです。人材派遣会社が本社を島に移転してきて、アニメパークとかいろんな施設を作り、近くに安藤忠雄さんの設計した建造物があったり、それにつれてレストランやホテルが出来て、西浦はいまや「西海岸」と呼ばれているのだそうです。  明石海峡大橋で神戸・大阪から1時間ほどで来られ、海に落ちる夕日が眺められ、魚は新鮮で、地価が安いと関心が高まっているようです。中小企業の兄は求人の人件費が高くなって困るとぼやいていました。    人気が高まっている一方、わたしが子供のころには、たらふく食べられていた飯蛸やイカナゴは不漁が続き、タコも少なくなっているそうです。村は子供たちが減少し、小学校は廃校になり、八百屋、魚屋は廃業し、かといってコンビニもなく生活基盤が崩壊しています。そんな村の休耕田のなかのケーキ屋さんに、若者が長蛇の列をなしているのは不思議な光景でした。      しばらく会わなかった間に叔母たちは老い、耳が遠くなって話が伝わりにくくなり、おしゃ…

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