もういくつ寝ると

 暮れの 27日といえば、子供の頃には叔父に連れられて従兄弟たちと裏山へ、ウラジロというシダを採りに出かけました。親戚など何軒分かの注連縄を叔父たちがまとめて作りました。  <シダを飾ることはすでに『西行物語絵巻』にも見えているから、平安時代から正月飾りの一つとして尊ばれたものであろう。常緑であることと葉が双出することから長寿で夫婦円満を意味するものといわれた。> とのことです(宮本常一『歳時習俗事典』八坂書房)。  当地の 30キロほど東方に四郷という串柿作りで知られた村があります。父鬼峠という紀泉山脈の峠道の近くです。近年、トンネルが開通し、訪れやすくなっています。串柿は 10個連なっていますが、「ニコ(2個)ニコ 中六つまじく」という意味なんだそうです。子供の頃には飾ったあと食べていましたが、現在のには「食べないで下さい」と書かれています。そんなことは記さなくても、昔は食べる人が食べられるかどうかを判断したものです。  餅にカビが生えていても、この程度なら大丈夫とか、コレはダメとか。折角の串柿を食べないで捨てるのは、何か勿体無い気がします。コンビニなどの食品廃棄に繋がる風潮なんでしょう。  29日頃になると、朝起きると台所の方から騒がしい声が聞こえてきます。大人たちが集まって、餅つきが始まっています。湯気の立つ側で祖母が張り切って差配しています。もち米を竈(へっつい)で蒸す人、杵をつく人、介添えする人、つき上がった餅を丸める人、毎年役割は決まっていたよ…

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音楽の捧げもの

 ドイツの作曲家 J.S.バッハ(1685-1750)は日本でいえば、徳川八代将軍吉宗(1684-1751)と同じ時代を生きた人です。松尾芭蕉や近松門左衛門より一世代下になります。赤穂浪士の討ち入りの時、芭蕉はもう居ませんでしたが、バッハは 17歳でした。  バッハは「黄金の国・ジパング」を知っていたでしょうか? マルコ・ポーロがアジアを旅したのはバッハより400年も前のことです。吉宗の当時、オランダとは長崎・出島での交易が続いていました。  バッハの曲で最初に惹きこまれたのは、「ヴァイオリン・ソナタ第1番」でした。こんなに高貴で厳粛で妖艶な音楽があるのかと驚嘆しました。V.ムローヴァ(Vn)とB.カニーノ(P)の演奏でした。名作といわれる「マタイ受難曲」には「確かにこれはたまらんなァ」と一回聴いて、以後、近づいていません。日常的によくかけるのは「パルティータ」とか「フーガの技法」などです。  「フーガの技法」はバッハの最後の曲で未完成で、演奏楽器の指定がないので、パイプオルガン、チェンバロ、ピアノ、弦楽四重奏、弦楽合奏など種々の演奏形態があり、それぞれ楽しめます。一つの旋律を次から次へと追いかけながら変転していき、突然、未完で終わります。  こんなことを文案として考えているところに、友人から電話があり、いろんな話の最後に「最近、バッハのカンタータを聴いている」と言い出したのには驚きました。「ウムゥ、カンタータねえ、ぼくは聴いたことないな・・・。」そういえば…

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ベルツの遺産

  来週からは本格的な寒さになるそうです。北の地方では雪が降り始めるかもしれません。寒くなると手足が荒れます。昔はアカギレが踵などによくできました。子供のころ実家では、膏薬を作っていましたので、少し火で温め軟らかくして患部に貼りました。  肌荒れ用にはベルツ水というのがあります。グリセリン、水酸化カリウムなどが成分です。明治9年に来日したエルウィン・ベルツ(1849-1913)というお雇い外国人が処方したものです。ベルツは東京医学校(のちの東大医学部)で内科を教え、明治38年にドイツへ帰国するまで30年近く勤務しました。  森まゆみ『明治東京畸人傳』(新潮社)はベルツの話から始まります。 <子どものころ、かかりつけの酒井医院におヒゲの外国人の肖像画がかかっていた。畳敷に火鉢の置いてある待合室で、何度、そのひとの立派な顔を眺めたことだろう。> ベルツは 27歳で日本に招聘され、以来、日々の見聞を日記に記載しており、外国人による明治の記録として貴重なようです。渡辺京二『逝きし世の面影』にもその日記が数ケ所引用されています。  ベルツは最初、加賀屋敷十二番館という所に住んでいましたが、一番館にはフェノロサ、五番館にモース、九番館にナウマンといったお雇い外国人が住んでいました。ベルツは結婚して官舎を出て池之端茅町に住みました。後年の花夫人の回想では <「その頃のあの辺は原でございまして、狐や蛇が平気で遊んで居たり、弁天様のあたりに雁が降り、それが宅の台所などによく遊びに来て…

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新型コロナ・ワクチンの可能性

  いよいよアメリカ、イギリス、ロシアなどで新型コロナ・ワクチンが投与され始めるようです。日本でも投与に向けての法整備が整ったようです。今度のワクチンは病気の出現からほぼ1年で実用化されるという猛スピードの開発で、今までにない発想や技術が用いられているようです。  アメリカのファイザー社のはメッセンジャー(m)RNAワクチンと呼ばれるもので、コロナウイルスの表面突起をウイルスの目印に利用し、突起を作る「設計図の鋳型(mRNA)」をワクチンとするものです。ワクチンを投与された人はその設計図に従って自分の体でコロナウイルスの「突起成分」を合成します。  その結果、ワクチンを打った人には変な「突起成分」が体の中に出現するので、それを外敵・異物として排除しようとする働きが生まれ、突起を持つコロナウイルスへの防御となります。  設計図(DNA)または設計図の鋳型(mRNA)を人体に投与して、人に物質を作らせようという技術は、とてつもなく応用範囲の広いものです。ワクチンの設計図は一時的で、分解されてしまいますが、分解されないようにすれば、人体改造ができます。  たとえばアルコールが飲めない人に分解酵素を作る設計図を投与すれば、その人は自分で分解酵素を作るようになり、アルコールが飲めるようになります。糖尿病のインスリンのように病気には何かが足りないことで起こるものが無数にあります。自分に足りないものを自分で作るという画期的な治療法になります。また免疫を作るという面では癌…

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