薬の効きめ
よくそんなことが出来たものだと驚きながら、河口慧海『チベット旅行記』(講談社学術文庫)を読んでいると、困ったときに慧海(えかい)は「宝丹」という薬をよく飲んでいます。たとえば・・・
< そういう危ない所を通り抜けてまた平坦な岩の上に出ましたがもうそこで倒れたくなってどうしても仕方がない。ジーッと立ち止まって居りますともう少し下へ行けば水があるからと言ってくれたけれども何分にも進むことが出来ない。そこで案内者は水を汲んで持って来てくれた。その水を飲んで少し宝丹を含んで居りますと大分に気持ちが快くなって来た。>
・・・といった具合です。明治30年(1897)、河口慧海は仏教の原典を求めて日本を出国し、単身、ネパールからヒマラヤを越え、鎖国中のチベットに潜入します。高山病になり、盗賊に襲われ、雪中野宿し、犬に噛まれたり悪戦苦闘の連続です。
ここに出てくる「宝丹」とは上野・不忍池のそば池之端仲町の守田薬局が製造する薬で、九代目守田治兵衛が文久2年か3年にオランダの軍医ボードワンの処方から開発したものです。効能は暑気あたり、胸腹の痛み、中毒、かぜ、めまい、歯痛、下痢、船酔などです。現在の成分は「ℓ-メントール、チョウジ末、チクセキニンジン末、沈降炭酸カルシウム、リン酸水素カルシウム、ハチミツ」だそうです(森まゆみ『明治東京畸人傳』新潮社)。当時、非常に流行った薬で慧海も旅行に持参したのでしょう。
森さんの本によれば、大正4年、チベットから帰った慧海は根津宮永…