門弟三千人のひと
嵐山光三郎『文人暴食』(マガジンハウス)には佐藤春夫(1892-1964)について <「門弟三千人」と謳われた文豪佐藤春夫だが、しかし、それほど面倒見のいい親分気質ではなかった。むしろ神経質で、気分のおもむくままに彷徨する憂鬱な作家であった。芥川賞設立のときより、二十七年間にわたり銓衡(せんこう)委員として新人作家を発掘し、訪問する新人作家を受け入れ、それが三千人という。> と書いていました。
そういえば、太宰治は佐藤春夫に宛て「第二回の芥川賞は、私に下さいまするやう、伏して懇願申し上げます」「佐藤さん、私を忘れないで下さい。私を見殺しにしないでで下さい」と手紙を書いています。さぞかし大勢の作家が佐藤家に押しかけたことでしょう。
『文人暴食』によれば、佐藤春夫は酒を飲まなかったそうで、たとえば、室生犀星は若い頃、酔っぱらってよく喧嘩をしていたそうですが、<春夫は犀星を「何人にくらべても無教養」ときめつけ、会っても口もきかなかった。酒飲みを極度に嫌っていた。> とのことです。
門弟の中にはいろんな人が居たようで <その後、来た男に稲垣足穂がいる。足穂は言葉巧みに家に入りこみ、春夫の蔵書を売りとばしたので「彼が二階へ上がって来るところを階段の上から蹴りとばしてやった」。「奇才である。巧みな自己宣伝家である。男色家である。不徳漢である。・・・こういうのは三千のうちの屑の屑である。それにしても才有って行無く、埋もれて行くのはかわいそうに悲惨である」> と春夫は回想して…