ゆく年を振り返って

 結局、今年はどこにも出かけずに過ぎそうです。こんな事は初めてです。鉄道好きの家内も県内に閉じこもったままです。よく辛抱したものです。おかげで気になりながら読み残していた本が読め、音楽を聴く時間も充分にありました。  年初は河口慧海『チベット旅行記』から始めました。明治時代に仏典を求め、チベットに潜入した詳細な記録です。インドからネパールへ、そして野宿しながら山岳地帯を越え鎖国中の国に紛れ込む強靭な意志と体力、国籍を偽りチベットの社会や習俗に溶け込んで暮らすようす、日本人であることが発覚し危機一髪の脱出など、異国の風俗誌とともに冒険譚としても楽しく読めました。  春には谷崎潤一郎『細雪』を読みました。舞台が芦屋や神戸なので、子供時代に阪神間になじみがあったので親近感がありました。今は廃れた「お見合い」という制度の微妙な駆け引き、大阪・船場のボンやコイサンの行動、ロシア革命を逃れてやってきた白系ロシア人家族との交流など阪神間に住んだ人たちの生態がリアルに描かれています。  父母たちが暮らし、わたしが生まれる前の戦前という時代の空気や風俗が物語の背景に書き込まれています。東京人・谷崎の関西潜入記とも読めます。  音楽では夏にマーラーの交響曲を第1番から順に第9番まで聴いてみました。指揮者によって曲の印象が変わります。聴いている間はいろんな感想が浮かびました。  しかし、先日、久しぶりに定盤の、バーンスタイン指揮、ニューヨーク・フィルの第2番「復…

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くる年に向けて

 来年はトラ年ですが、前回の寅年は平成 22年で年初の首相は鳩山由紀夫さんでした。なにかもう遠い昔のように感じられます。「えと」が5回めぐれば還暦になってしまうのですから、12年はけっこう長い年月のようです。  日本には野生の虎はいなかったはずなのに、「とら」という和語があるのは不思議です。朝鮮語由来という説があります。古来、朝鮮からの贈り物に虎皮があったそうです。そういえば、雷神さんは虎皮のふんどしだし、加藤清正の朝鮮での虎退治も有名です。  虎という字を含む言葉やことわざがたくさんあります。「虎の子」、「虎穴に入らずんば虎子を得ず」、「虎の尾を踏む」、「虎の威を借る狐」など・・・。  また、「大人(たいじん)は虎変す。君子は豹変し、小人は面(おもて)を革(あらた)む。」という易経の言葉もあります。大人や君子は虎や豹の皮の文(あや)ように美しく日進月歩、変化していく。これに反して小人(しょうじん)は顔面だけ、上の人の意に従う態度をとる、といった意味だそうです(諸橋轍次『中国古典名言事典』講談社)。  大人でも君子でもない身としては、面を革めながら生きてゆく他ありません。週に1度ほど和歌山城内を散歩しますが、昔の人も上役の顔色を見ながら暮らしていたのだろうと推察します。そういえば和歌山城の天守閣のある所は虎伏山と呼ばれます。  今年も残り少なくなりましたが、来年はどんな年になるのか。オミクロン株はどうなるか? 「虎を野に放つ」ような悲惨な結果になる…

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対談の楽しみ

 池内 紀といえばドイツ文学者でエッセイスト。残念ながら 2019年に亡くなりました。『東海道ふたり旅 道の文化史』(春秋社)という本を面白く読んだばかりだったので驚きました。    川本三郎は文芸・映画評論家。今年は『『細雪』とその時代』(中央公論新社)を興味深く読みました。この二人の対談集『すごいトシヨリ散歩』(毎日新聞出版)が本屋に出ていたので買ってみました。それにしても何という題名なんでしょう、手に取るのがためらわれました。 川本 いま、医者から心臓の精密検査をしようと言われているんですが、怖いからイヤだイヤだと逃げ回っていて(笑)。 池内 三十年間かかりつけの医者がいて、ぼくより若いから「最期まで診てくださいね」と言っていたのに、その人が死んじゃった。先日わかったんです。心配はしていたんだけど、主治医が先に逝くなんて、サギにあったみたい(笑)。 川本 アメリカのコメディアンでジョージ・バーンズという人がいたんですけど、彼は九十過ぎまで現役バリバリで、得意のネタがあった。インタビューを受けると、ブランデーを飲みつつ、葉巻をプカプカ吸いながら、「女の子とも遊んでいる!」みたいなことを話す。インタビュアーはびっくりして、「そんな生活をしていて、主治医は何もおっしゃらないんですか?」と尋ねると、「主治医はとっくに死んだ」(笑)。  たわいもないトシヨリの世間話です。池内は昭和15年生まれ、川本は19年で、二人は普段から仲が良かったそうで、一人暮ら…

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師走の句歌

 時雨とともに冬の気配が訪れます。今年も残り少なくなったと、何か焦るような気持ちが湧いてきます。そして初時雨には軽い驚きが伴います。    ででむしのえりうつくしき初時雨 (三好達治)  ででむしはカタツムリのことです。えりとは頭を出す殻の出口でしょうか? 小動物たちにも冬が待っています。カタツムリの寿命は1年程ですが、種によっては 15年も生きるのがあるそうです。    いにしへを思へば夢かうつつかも       夜はしぐれの雨を聴きつつ (良寛)  遠い昔のことを振り返れば、記憶は曖昧になります。実際にあったことなのか、夢で見たことだったのか、はっきりとは区別できません。夢だったのかもしれない・・・ふと、冷気に気がつけば夜のしぐれが降っています。    葱(ねぎ)買て枯木の中を帰りけり (与謝蕪村)  枯木林のくすんだ色の中、ネギの緑色が鮮やかです。帰って鍋でもするのでしょうか。万象が冬枯れるとき、ネギは生気をもたらします。    寂しさに堪へたる人のまたもあれな       いほりならべん冬の山里 (西行)  世俗を離れた庵住まいでも、冬の寂しい暮らしの中で、ときに談笑できる隣人を求める気持ちも湧いてきます。そんな隣人はいないものか。    塩鯛の歯ぐきも寒し魚の店(たな) (松尾芭蕉)  正月用の焼き鯛なのか、白い歯を寒々しく見せて並んでいます。歳末の人間たちの慌ただしさをにらんでいます…

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事件の核心

 日本ではコロナ感染が急速に終息しつつあると感じられますが、ワクチンの効果なのか、ウイルス自体が自滅したのか原因も分からないままです。ワクチンの効果とすればドイツなどでの再拡大は不思議です。何でだろうと首をかしげているうちに、南アフリカで新たに見つかったオミクロン株という変異ウイルスが成田にやって来ました。  一般には、「未知との遭遇」は時間とともにお互いに馴れて無害化する方向に向かうはずですが、まだ関係が安定するに至っていないのでしょう。  ちょうどこの間から、アフリカが舞台の小説を読んでいました。グレアム・グリーン『事件の核心』(小田島雄志訳 ハヤカワepi文庫)です。G.グリーンといえば映画『第三の男』の脚本が知られていますが、むかし何かで遠藤周作が彼の小説について言及していたのを見て、いずれ読んでみようと買っておいたものです。  <西アフリカの植民地で警察副署長を務めるスコービーは、芸術家肌で気まぐれな妻ルイーズに手を焼いていた。(中略)スコービーの前に、事故で夫を失った若い女ヘレンが現われ・・・英文学史上に燦然と輝く恋愛小説の最高傑作。> と裏表紙に印刷されています。  読了するのに1ケ月半かかりました。どこで事件が始まるのだろう、核心って何だろうと思いながら・・・どうもこの小説には入り込めないなと感じながらも、『第三の男』の脚本家なんだから、そのうちに面白くなるだろうと期待しつつ読み進みました。残り 30ページになっても事件は起こりません、きっと…

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