坂道の記憶
東京には住んだことがないので、街の構造がなかなか分かりません。用事で出かけた場所を少し覚えているだけで、点が線にならず、面としての東京がイメージできません。
また京都なら碁盤の目で、位置関係が分かりやすいですが、東京の道は曲がっていて、アップダウンもあります。神戸なら坂があっても、下りはほとんど南向きで、海に通じていますが、東京の坂道はどっち向きか分かりません。
白洲正子の「東京の坂道」*を読んでいると、< 俗に「山の手の坂、下町の橋」と呼ばれる > と書かれていて、なるほどと思いました。
そのなかで白州は < 長男が生まれたのも赤坂氷川(ひかわ)町で、今の赤坂六丁目のあたりである。「氷川坂」の崖下の、日当たりの悪い家だった。坂を登った所に、氷川神社があり、よく乳母車をひいて散歩に行った。(中略)/ 氷川神社は、村上天皇の天暦(てんりゃく)五年(九五一年)に一ツ木のあたりに創建され、八代将軍吉宗のとき、現在の地に移されたという。オオナムチノ命(みこと)と、スサノオノ命、クシイナダヒメを祀(まつ)っているのは、出雲(いずも)系の神社であることを示しており、してみると、氷川は出雲の箙(ひの)川から出た名称に違いない。> と記していました。
そういえば、わたしも十数年前、近くに泊まったことがあり、朝の散歩をしていたとき、氷川神社や「忠臣蔵」の"雪の別れ”の南部坂があったのを思い出しました。その時は勝海舟の談話録『氷川清話』を読んだあとだったので、勝海舟は…