新聞書評の楽しみ

 いつも何かおもしろい本はないか? と思っている人間にとって、週末に新聞の書評欄を眺めるのは楽しみのひとつです。最近は書店へ出かけて、棚を見て回るのが億劫になって、読む本がきれると、自宅の本棚から、未読本を探していましたが、それも種切れぎみです。  新聞で紹介される本も、最近は歳のせいか、興味がそそられるのが少なくなって、困ったものだと思っています。  先週の毎日新聞の書評欄「今週の本棚」では、星野太『食客論』(講談社)にちょっとこころが動きました。紹介者の永江朗は < 古今東西、傍らで食べる寄生者 > についての話と要約していました。わたしも日頃、食客のような存在と自覚していたので、興味をもよおしたのかも知れません。  今週は、『つげ義春 流れ雲旅』(朝日新聞出版)というのが紹介されていました。1969-70年に漫画家のつげ義春が編集者と写真家とともに出かけた旅の記録に、その後の旅を加えて復刊したのだそうです。東北、四国、九州などを巡っているようです。どうと言うこともない本なのでしょうが、つげ義春の絵や言葉が楽しめそうです。  あの時代、わたしも東北や九州へ流れ雲のような旅をしました。振り返れば、こどもから大人への脱皮の時期だったのでしょう。  また、村上春樹の新作『街とその不確かな壁』(新潮社)について、二人の評者が論評していました。わたしは 1980年代以後、彼の新刊が出るたびに読んでいましたが、ここ十年程は遠ざかってしまいました。自分にとって彼の小説が身に…

続きを読む

散髪屋さんのこと

 久しぶりに理髪店にでかけました。この間、髪が長くなると家内に切ってもらっていました。家内はYouTubeで散髪の仕方を研究していました。コロナが下火になり、来月には甥の結婚式もあるので、そろそろ出かけてもいいかなという気持ちになりました。  この散髪屋さんはわたしが大学生の頃からの行きつけで、もう 50年以上になります。先年ご主人が亡くなり、息子さんに代替わりしています。  わたしが若かった 1960-70年代は、長髪が流行ったので、少々髪が伸びても気にならないせいか、元々、散髪は年に数回しか行きませんでした。わたしの父親は、毎週理髪に通う習慣だったので、学生の頃は帰省のたびに「散髪に行け」と叱られていました。  父親の行きつけの故郷の理髪店には、わたしの小学校の同級生がいて、よく一緒に遊びました。その子の母親はお好み焼き屋をしていて、時にご馳走してくれました。また祖父は興行師のような仕事をしていて、旅回りの劇団などを差配していました。床屋の離れには人形浄瑠璃の女師匠さんが暮らしており、友達の父親もわたしの父親もそのオショハンについて義太夫を習っていました。「日も早や西に傾きしに・・・」などと父親は「一谷嫩軍記」の一節を道を歩きながらよく唸っていました。郷里の島では人形浄瑠璃が盛んでした。  散髪屋の友達は左官さんになったのですが、酒浸りとなり、帰省のおりによくない噂を聞くようになりました。50歳になった年に、故郷で小学校の同窓会が開かれたのですが、幹事をしてくれた同級生…

続きを読む

時代の条件

 新聞の書評欄を見ていると、梶井基次郎の『城のある町にて』のことが取り上げられていたのですが、そういえば『檸檬』とか『櫻の樹の下には』は記憶にあるのですが、これは読んだ覚えがないので・・・本箱のどこかに文庫本か何かが有るかもしれないとしても、目の具合もあり、Kindleで「青空文庫」のを読んでみました。  小説は寝転がって読むことが多いのですが、ノートPCではそうもいかず、首や肩が凝ってきます。短篇なのでなんとか読了できましたが、長篇はとても無理です。タブレットなら少しはましかもしれませんが、画面が小さく目が疲れそうです。  『城のある町にて』は三重県の松阪が舞台になっています。わたしは松阪へは一度行ったことがあるのですが、夜だったので、城跡も町のたたずまいも記憶にありません。梶井基次郎は明治 34年(1901)に大阪市で生まれていますが、松阪は姉の嫁ぎ先でした。1924年、可愛がっていた異母妹が結核で急逝し、自らも結核に罹り、姉の勧めで養生がてら松阪に行ったようです。 < 今、空は悲しいまで晴れていた。そしてその下に町は甍(いらか)を並べていた。>  少し硬質な文章で、姉夫婦一家との日々がスケッチされます。穏やかな暮らしのなかで喪失感が薄らいでいくようです。  戦前の青年たちには結核という病気が身近でした。時代を象徴する病気とも言えます。わたしは戦後生まれですが、小学校の帰り道で、近所の人から「おまえの家は結核筋や」と言われたのを憶えています。  抗生物質の発…

続きを読む

「からだ」はどう扱われたか

 世の中は、ますますヴァーチャル・リアリティが幅を利かせ、AIがいろんな分野に浸透しています。人間の脳が作り出した産物が人間を支配しつつあるようです。身体もデータに置き換えられ、画像化されます。思い通りにはならない自然の身体は見えにくくなっているようです。  『身体の文学史』(新潮社)は、解剖学者の養老孟司が明治以降の小説において、身体がどう扱われてきたかを考察した本です。わたしなりに要約すれば、江戸時代以来の日本社会は隅々まで制度で管理され、本来、肉体的な兵士である武士も、行政職となり、身体は流派の型や所作として管理された。著者はそれを「脳化社会」と呼んでいます。  明治になっても、森鷗外や夏目漱石には自然としての身体は意識されることなく、テーマは”こころ”であった。  < 意識的なものとして、身体の役割が最初に文学に登場するのは、芥川[龍之介]であろう。(中略)/ 芥川に登場する身体は、ある特徴を持っている。それは主人公を引きまわすのである。『鼻』および『好色』は、その好例であろう。(中略)身体という主題に関して、芥川自身の態度を示すのは、『羅生門』である。ここに登場する下人は、死人の髪を抜いてかつらを作る老婆をけ倒して、いずこともなく去る。この下人の気持ちは、芥川の気持ちであろう。この芥川の感情は一般的な日本人の感情であり、脳死臓器移植問題の議論に、そのままの形で、いまだに表現され続けている。>  昭和になると戦争が始まる。「腹が減っては戦はできぬ…

続きを読む