雑誌が消えた

 6月に「週刊朝日」が休刊し、 101年の歴史を閉じたと思えば、「レコード芸術」も7月号で 71年の幕を降ろしました。雑誌という形態が時代に合わなくなっているようです。そういえば、わたしもここ数年、雑誌を買った覚えがないのに気づきます。  「週刊朝日」はこどものころ親が定期購読していたので、身近にあり、遠藤周作の対談記事を楽しみにしていました。スヌーピーやチャーリー・ブラウンの漫画も谷川俊太郎の気の利いた訳で愉快でしたし、岡部冬彦の「アッちゃん」という漫画もほのぼのとした味がありました。荻野昌弘の映画紹介も記憶に残っています。後年には司馬遼太郎「街道をゆく」や山藤章二「ブラック・アングル」もありました。  親元を離れてからは、「週刊朝日」とは縁が薄くなりました。定期的に週刊誌を買うこともなく、「少年マガジン」などはどこかから回って来たように思います。20歳ごろは月刊誌の「群像」と「現代詩手帖」を数年間購読していました。「群像」に掲載された清岡卓行「朝の悲しみ」、丸谷才一「中年」、大庭みな子「三匹の蟹」などの小説は印象に残っています。吉行淳之介が「暗室」を連載していました。  1960-70年代は現代詩が盛んで、「現代詩手帖」には西脇順三郎、田村隆一、大岡信などの新作が載っていました。《詩》が光輝を放っていた一時期でした。  1974年に仕事についてからは、職業に関わる雑誌に囲まれて暮らすようになりましたが、40歳を過ぎたころから音楽を聴くようになり、「レコード芸術」を数…

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唄をめぐるエッセイ

 唄の好きな人にとって、和田誠『いつか聴いた歌』(文藝春秋)は古い本ですが、座右に置いて時々眺めて楽しむのに好都合な本です。わたしも 20年ほど前、「日本の古本屋」に注文して入手しました。1977年に出た本で、ちなみに発行者は半藤一利となっています。  これは和田誠がスタンダードといわれるアメリカなどの唄 100曲について、それぞれにまつわるエッセイを書き、関連者の似顔絵を付けたものです。「ビギン・ザ・ビギン」に始まり、「歌は終われど」が最後になっています。  「やさしく歌って Killing Me Softly with His Song 」では、< 75年、ロバータ・フラックが初めて来日した時、ぼくはパンフレットに似顔絵を描いた。それが彼女の気に入って、原画が欲しいと言う。ぼくは公演後の楽屋でロバータ・フラックに会って、絵を手渡したのだった。そしたら彼女は喜んで「キスしていい?」と言い、ぼくのほっぺたにチュウをしたのであります。なれぬことゆえ、いささかたじろいだ。ぼくの方も「あなたの歌は素敵です」とか言って彼女にキスすべきかとも考えたが、妻がそばにいたこともあって、見あわせたのだった。> と残念そうに書いています。もちろん妻というのは、テレビの料理番組でよく拝見する平野レミさんのことで、その数年前に結婚したばかりでした。  それはさておき、<「やさしく歌って」という日本語の題が定着しているようだが、Killing Me Softly なのだから直訳すれば「やさしく殺してい…

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本を書くひと作るひと

 新聞の書評欄で川本三郎が山田稔『メリナの国で 新編 旅のなかの旅』(編集工房ノア)という本を紹介していました。フランス文学者の山田稔が若い頃に書いた旅行記をまとめたものです。彼の本は以前に『コーマルタン界隈』(河出書房新社)というパリの話を読んでいて、面白かった記憶があったので、Amazonで取り寄せました。  山田稔は 1930年、門司に生まれ、長年、京都大学でフランス語を教え、フランス文学の翻訳も多数あるようで、現在も 92歳で健在です。若い頃から「VIKING」という関西に拠点を置く同人雑誌に関わってきたそうです。「VIKING」といえば同人に富士正晴、島尾敏雄、庄野潤三、山崎豊子、高橋和巳などがいたので知られています。  また「編集工房ノア」という出版社の本を買ったのは初めてのような気がします。本にはさまれていた出版案内などを見ると、鶴見俊輔、天野忠、杉本秀太郎、足立巻一といった名前が並んでいて、ちょっと手に取ってみようかと思う本もあります。  調べてみると「編集工房ノア」というのは大阪・中津にある大阪では珍しい文芸書専門の出版社です。1975年、涸沢純平という人が創業し、奥さんと二人で営んでいるそうです。自分の気に入った人の本を出版して暮らすというのは、書物好きの人間には楽しい仕事のように思えますが、この出版不況の中、そんなに多くは売れそうもない本を出し続けて、よくやっていけるものだと感心します。  「メリナの国で」は 1980-81年に京都新聞夕刊に連載さ…

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飽きることのない音楽

 昼ごはんを食べて、少し本を読んで、ちょっと眠気をもよおした頃に、今日は何を聴こうかと思いを巡らします。その日の気分によっていろいろですが、時に変わったものを選ぶことがあります。  ショスタコーヴィッチ(1906-75)の音楽には余りなじめないのですが、彼の交響曲第5番はときおり聴きたくなります。40分程の曲ですが、演奏が始まったとたん、なんともいえない悲哀に満ちた雰囲気に包まれます。生命あるものとして、いつか滅ばねばならないという根源的な悲哀なのか、当時のソビエトのスターリン体制下での社会的な悲哀なのかは分かりませんが、それらのことが混然一体となっているのでしょう。  第2楽章はピエロかロボットが踊っているような、少しシニカルな気分が感じられます。第3楽章は宇宙空間を一人で漂っているような孤独な感じです。そして第4楽章になると、突然、今までの悲哀や孤独を振り払うような、大地を疾走しているような音楽が始まります。なにか空元気のようにも感じられますが、また一転して回顧的で瞑想的な曲調となり、最後はピエロが舞台から退場するように曲が終わります。  1937年、この交響曲は革命20周年記念祭典で初演され大成功をおさめます。翌年、ショスタコーヴィッチは、< フィナーレはそれまでの諸楽章の悲劇的に緊迫したものを解決し、明るい人生観、生きる喜びへと導く > と述べています。*  ところが没後、1979年にアメリカで出版された彼の回想録では、< 強制された歓喜なのだ。・・・鞭打たれた…

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