音楽と出会うとき

 今年もいろんな音楽を聴いてきましたが、振り返ってみると、この1年、音楽CDは1枚も買わなかったようです。ここ数年、 CDショップへは出かけられなかったので、online shop で手に入れていたのですが、購入履歴を見ると今年は発注なしでした。昨年の12月に家内の依頼で「イル ディーヴォ」というヴォーカル・グループのCDを取り寄せたのが最新でした。  今年は古い CDばかり聴いていたようです。新しいものへの関心が薄れたのでしょうか? 店舗に出かけていると、せっかく来たのだから何か買うものは無いかと、つい衝動買いしてしまうのですが、online shopだと、とりあえずカートに入れておいても、2〜3日後には、まあいいかと購買意欲が低下している場合が多いようです。また、YouTubeで聴いてみて買うほどでもないかとなるようです。  それが良いことなのかどうかは微妙です。物でも人でも、衝動的な偶然の出会いによって新しい世界が拓けることがあるようにも思います。たとえば『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ』という CDを買ったために、キューバ音楽やラテン音楽に一時、熱中したり、『コール・ポーター作品集 ローズマリー・クルーニー』を聴いてみて、C.ポーターの曲を集めているうちに、ジャズ・ヴォーカルに興味をもったり、『ピープル・タイム/スタン・ゲッツ・ケニー・バロン』をテレビの紹介番組で知って、ジャズを聴き出したりしたことを思い出します。  まあそれでも、衝動買いした CDは1〜2回聴いて…

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今年の読書を振り返る

 今年も残り少なくなって来ましたが、来年はどんな年になるのでしょう。今年は75歳になって、後期高齢者と称ばれるようになり、余命が意識されるようになりました。確かに持ち時間は少なくなっているのでしょうが、仕事を離れると、1日が永く時間を持て余します。時間を決めて運動や散歩をし、読書(最近は家内に朗読してもらうことが多い)や音楽の時間などを割り振って1日をやり過ごしています。  この4年間は新型コロナと持病のために、旅行もままならず、人混みも避けているうちに、気力、体力が低下したようで、高齢者にとってこの4年間は大きな時間のロスだったように思います。  さて、今年読んだ本で何が印象深かったかと振り返れば、年初に読んだエマニュエル・トッド『我々はどこから来て、今どこにいるのか?』(文藝春秋)が刺激的でした。、核家族、父系制、直系家族といった「家族システム」の違いが、社会や国家の成り立ちを決めているといった目からウロコの話が次々と語られ、世界の見え方が変わる気がしました。アメリカ人は狩猟採集時代のホモ・サピエンスと同じように、核家族で自由主義で、武器で自衛する社会で生きているなどとフランス人らしい言説も面白い。  次に感銘を受けたのは、吉村昭『白い航跡』(講談社)で、明治時代に脚気(かっけ)という病気の原因を、疫学的調査で「白米食」にあると突き止めた高木兼寛の話です。著者の緻密な調査と筆力に読み応えのある伝記小説となっていました。  この秋に読んだのは、足立巻一『やちまた』(河…

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吉野山で散歩

 先日、天気が良かったので昼食後、散歩がてら吉野山へ出かけました。紀ノ川にそって京奈和自動車道というのが出来ているので、和歌山の自宅から1時間半ほどです。駐車場に車を停めて、蔵王堂のあたりまで散歩しました。紅葉も終わっているせいか、道を歩いている人は無く、土産物店や食堂も閉まっているようで閑散としていました。  二十代のころ、奈良県と接する橋本市に2年間住んでいたので、友人などが来ると高野山や吉野山へ出かけました。以来50年、吉野山へは年に1~2回登っています。ただ行くのは初夏から冬にかけてで、吉野山に桜が咲いているのは見たことがありません。桜の季節はあたりは大渋滞でしょうから近づきません。和歌山から吉野山へ電車やバスで行くのは案外不便です。  そういえば、そもそもわたしが吉野という土地に愛着を感じるようになったのは、大学生のころに読んだ『吉野葛』という谷崎潤一郎の小説に魅了されたからだと思い出しました。20歳のとき、「菜摘の里」とか「入の波(しおのは)」といった小説に出てくる場所を訪れ、嬉しい気持ちになったのを覚えています。『吉野葛』は一言でいって母恋の物語ですが、母が健在であった十代のわたしが、なぜ物語にひきこまれたのか不明です。  二十代だったと思うのですが、父親と話していて、どんな話の続きであったかは忘れましたが、父が「『吉野葛』はいいね」と言ったのを憶えています。父は早くに父親を亡くし、母親が再婚したため妹とふたり祖父母に育てられていますので、父親がそんな小説を読ん…

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再読の不思議

 新聞の書評欄などで面白そうな本はないかと探しているのですが、思うようなものに出会えません。しかたなく最近は以前に読んで心に残った本を再読することが増えました。ところが読み出してみると、全く内容を憶えておらず、断片すら既読感がありません。こんなにもみごとに忘れるものかと唖然とさせられます。  ただ再読してもやはり面白いことは確かです。好印象だけが記憶に残って、内容はきれいさっぱり抜けてしまっている訳です。まあ、ディテイルまで憶えている本は、そもそも再読しようとは思わないのかもしれませんが、こんなに書物って記憶に残らないのかと驚かされます。  今は、足立巻一『虹滅記』(朝日新聞社・1982年刊)を再読しています。もう 40年以上も前に読んだ本です。今年は、この本が面白かったという記憶から、同著者の『やちまた』(河出書房新社)を読み、やはりいい本だと思いました。『やちまた』は盲目の国学者・本居春庭の評伝ですが、『虹滅記』は著者の祖父・敬亭、父・菰川という漢学者を中心として著者の暮らした世界を掘り起こした物語です。著者は父が早逝し、母が再婚し祖父母に育てられますが、祖父・敬亭は生活能力がなく、幼い著者を連れ放浪し、長崎の銭湯で著者を残し急死します。  成人した著者の元に思わぬことから、敬亭、菰川の著作物が届きます。それを契機として著者のファミリー・ヒストリーの探求が始まります。小児期に家族を失っているだけに、自らの出自を知りたいという欲求が、年齢とともに増していったので…

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