女優の写真

 川本三郎の新刊『映画の木洩れ日』(キネマ旬報社)を読んでいると、<昭和三十年代に活躍し、人気があるなかで若くして引退してしまった女優といえば、日活の芦川いづみ、大映の叶順子、そして松竹の桑野みゆきだろう。> とありました。それで思い出したのですが、わたしが小学生のころ、高校生だった兄の勉強机の前に桑野みゆきの写真が貼ってありました。この兄は器用で、模型飛行機を作っても真っ直ぐ飛ぶし、メジロを飼ったり、蚕を育てたりしていました。他の兄は南海ホークスのファンでしたが、この兄が巨人ファンだったので、わたしも巨人になりました。わたしが中学生のころ、兄は大学受験がうまくいかなかった時は、溜池で鮒釣りをしていました。  この兄は 28歳の夏に、名古屋方面への車での出張の帰り、名神高速道路の路側帯に停まった車の運転席で亡くなっていました。クモ膜下出血でした。服のポケットに伊良湖岬の喫茶店のマッチがあったそうです。わたしは大学生でした。  兄には自転車の後ろに乗せてもらって、隣町の映画館へ連れていってもらいました。わたしは田舎育ちなので、東京生まれの川本三郎のように、青少年のころからいろんな映画が観られたわけではありません。  本書では桑野みゆき主演の映画「明日をつくる少女」(1958年)についての話の中で、原作者・早乙女勝元の脚本担当・山田洋次との出会いの思い出を引用し、<当時、早乙女勝元は葛飾区の新宿(にいじゅく)に住んでいた。ある時、山田洋次を近くの柴又に案内した。/「畑や雑草地だら…

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愛でるということ

 正月には「おめでとう」と言葉を掛け合いますが、「おめでたい」とはどういうことだろうと本*を見てみると、< めでたいは「愛(め)でる」という動詞から出ている。古語では「愛づ」になる。人や物の美しさ、すばらしさに心が引き付けられる気持ち、美しいもの、かわいらしいものに感心し、深い愛情を抱くことがメデルである。すばらしいものを褒めるのである。メデタイはは動詞メヅの連用形メデに「はなはだしい」の意味の形容詞イタシを付けた複合形メデイタシから出ている。> とありました。  なるほどと思いますが、以前に読んだはずなので、またすぐに忘れてしまうでしょう。これだから読書は本箱にある本を読み返しておればいいようなものですが、毎週の新聞の書評欄も気になります。  今週はマイク・モラスキー『ジャズピアノ 上・下』(岩波書店)の紹介が目に止まりました。ジャズ・ピアニスト 150人について、<ジャズ史を源流までたどり、ピアニストごとの具体的な弾き方と個性、魅力をわかりやすく言語化した。/(中略)ビル・エヴァンスとマッコイ・タイナーについて、こう記す。「最も興味深い共通点は二人とも左利きであることに関連すると思う。(後略)」> そうなのか、ピアノは弾けませんが、わたしも左利きなので興味を唆られます。ただ 791ページもあるので少しためらいます。前著が『戦後日本のジャズ文化』とあり、それは 15年以上前に読んだと思い出しました。  こんな本はやっぱり本屋さんで手に取って、ペラペラと中身を眺め、懐具合とも…

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わたしの昭和30年代

 年をとると子どもの頃のことが思い出されます。わたしは昭和30年(1955)に小学校に入っていますので、昭和30年代はちょうど成長期です。わたしは左利きですので、入学後、担任の女性教諭に右手に鉛筆を紐で括り付けられました。木造校舎で、窓の外に橙色のカンナの花が咲いていました。4年生のとき、鉄筋コンクリートの校舎に移転しました。初めて水洗トイレを見、レバーに触れ、急に大量の水が流れ出し、どうしたら止められるのかと焦った記憶があります。  4年生から野球部に入りました。長嶋茂雄が巨人に入団した年です。最初は投手で、藤田元司のまねをしたオーバースローでした。その後は一塁手になりました。映画「瀬戸内少年野球団」のように淡路島では野球が盛んでした。ちなみに原作者の阿久悠は近隣の村の駐在さんの息子さんでした。大相撲では千代の山、栃錦、若乃花の時代で、子どもたちもよく相撲を取っていました。プロレスも大流行りで力道山の空手チョップは無敵でした。  その頃はよく頭痛をおこし、「スピード」という置き薬を飲んで寝ていました。熱が出れば氷枕と氷嚢で頭部を冷やすのが普通でした。氷は魚屋で買いました。6年生で近視になりました。かまどで薪で炊いていたご飯が電気炊飯器に変わり、洗濯機、冷蔵庫、テレビが我が家にもやって来ました。  小学校では講堂や運動場で映画が上映されることがありました。嵐寛寿郎の「鞍馬天狗」などの時代劇でした。母や兄に連れられて隣町の映画館で観たのは梅若正二の「赤胴鈴之助」、「にあんちゃん…

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冬・新年の句歌から

 1月も 10日ともなると日が永くなって来たのが分かります。地震や飛行機事故で始まった新年ですが、北陸は雪の季節となり、被災された人たちの健康や復興の遅れが危惧されます。無常の世の中ではありますが、穏やかな日常が戻って欲しいものです。    老妻の叱咤(しった)の声にて年明けぬ       一家といふはかくて保つか (筏井嘉一)  なんとなく、何処にでもある光景と思われますが、ユーモラスに表現しています。わたしも後期高齢者となり身に沁みます。    すずなすずしろなつかしきものみなむかし (林原耒井)  解説で山本健吉は< 春の七草(ななくさ)の中に数えられた蕪、大根。野草としての昔の称呼が「すずな」「すずしろ」。こういう句は、ほのぼのと暖く、文句なくよい。 *>と記しています。「すずな、すずしろ」の実物を知らなかったわたしは、なるほどと納得します。    松すぎのをんなの疲れ海苔(のり)あぶる (渡辺桂子)  年末から正月と何かと仕事の多かった女性の松の内を過ぎたころの雰囲気が捉えられています。お疲れさまでしたと声をかけたくなります。    毛糸帽わが行く影ぞおもしろき (水原秋桜子)  最近、わたしも外では毛糸の帽子を被っています。何か違和感がありますが、防寒には最適です。    吾が影の吹かれて長き枯野かな (夏目漱石)   明治40年の作のようです。『坊っちゃん』を書き終え、朝日新聞社に入社し、職業作家となった年です。    水涕(みづば…

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連載エッセイの楽しみ

 新しい年を迎えましたが、早々の大地震で、2024年はどんな年になるのか不安になります。年始におおまかな1年の予定を考えますが、3月には持病の治療が済み、ある程度の旅行はできそうなので、久しぶりに何処かへ行ってみようとか、故郷の兄や叔母たちのご機嫌伺いもしたいし、子どもや孫たちと会う機会も設定しようなどと思いを巡らせます。  8月にはこのブログも丸十年になります。いつの間にか生活の一部となり、今週は何を書こうかという気持ちが生活の張り合いになっています。 今年は何を読もうか? だんだん現役のお気に入りの著者が少なくなっています。長年、雑誌や週刊誌などにエッセイやコラムを連載し、数年ごとに単行本として出版されるのは、好みの著者の場合、待ち遠しいものです。古くは司馬遼太郎が「週刊朝日」に書き続けた「街道をゆく」とか、洲之内徹が「芸術新潮」に綴った「気まぐれ美術館」、吉田秀和が「レコード芸術」に載せていた「今月の一枚」、丸谷才一の「オール讀物」のエッセイ、高島俊男の「週刊文春」の「お言葉ですが・・・」シリーズなどが思い浮かびます。リアル・タイムではなくても、単行本や文庫本になってから読んで、既刊のものを集めたりもしました。  これらの著者は亡くなっていますが、「映画を見ればわかること」は川本三郎が 2001年から現在も「キネマ旬報」に連載しているシリーズです。3年毎くらいに単行本になっているので、そろそろ次が出る頃だろうと、時節になると本屋に行くたびにチェックしていたのですが、6冊…

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