ブログ移行について

 歳末となり何かと慌ただしい時節ですが、ss-blogが来年3月末で終了するので、移行しないと、今までの記事は消滅するとのことですので、年の変わり目にSeeSaa blogに移行するようにしました。1月からは 爛漫亭日誌 URL https://otomoji-14.seesaa.net/  となります。  今度のところには nice 機能が無いようですので、少しとまどいます。使い方も慣れるまでは多少時間がかかりそうです。他家に養子にいく気分です。  わたしがブログを始めたきっかけは、2014年に小学校の同窓会に行った時、かっての同級生が、ブログにわたしが写った小学4年生の時の写真をupしたので了承して欲しいと、自分のブログを見せてくれ、案外簡単に色々なことが出来るのだなと思ったことです。帰宅後、早速、so-net blogを始めました。  わたしは2002年から、Reviw Japan という読書感想文などを載せるサイトに記事を書いていたのですが、2011年だったかにサイトが終了し、手持ち無沙汰な気持ちだったのです。そのため「爛漫亭日誌」は基本的に本や音楽の感想文になっています。わたしの備忘録でもあり、皆さまのご意見をお聞かせ頂く場でもあります。お気軽にコメント戴ければ幸甚に存じます。  皆さまには良い年をお迎えください。

続きを読む

2024年の「この3冊」

 毎年、歳末になると毎日新聞では「この3冊」と題して、書評者が今年出た本から3冊を選んで紹介してくれます。書評者は36人いるので重複を引いても、取り上げられる本は100冊程にもなります。色々な分野の専門家の推薦文を眺めながら、今年はこんな本が出版されたのかと、いろんな分野に関心が惹かれます。  また、好みの書評者が今年はどんな本を3冊に挙げるのかも楽しみです。まず詩人の荒川洋治が野口冨士男『散るを別れと』(小学館)を紹介しているのが目に止まりました。ラフカディオ・ハーンの奥さんの小泉節子とか斎藤緑雨などにまつわる小説のようです。荒川洋治は <事実の深みを映し出す、著者中期の名編> としています。野口冨士男は以前、『なぎの葉考』という短篇小説を読んで絶品と思った覚えがあるので、早速、読んでみることにしました。  昨年読んで目からウロコの思いをした人口・家族人類学者のエマニュエル・トッドの新刊『西洋の敗北』(文藝春秋)を佐藤優が推薦していて、これにも食指が動きます。佐藤優は <・・・キリスト教的価値観が完全に崩壊し、宗教ゼロの状態になってしまった欧米諸国がロシアに敗北する必然性について説得力のある説明をしている。> と書いています。 西洋の敗北 日本と世界に何が起きるのか [ エマニュエル・トッド ] - 楽天ブックス  また2年前に読んで楽しめた『ワルシャワで大人になっていく少年の物語』の著者・アイザック・B・シンガーの小説『モスキット一族』を辻原登と…

続きを読む

ベストセラーで見る時代

 紀伊國屋書店のオンラインに好みの著者名を登録しておくと、新刊が出ると知らせてくれます。以前はよく本屋さんに行っていたので、自分で好みの著者の本をチェックしていたのですが、最近は書店で時間をつぶす機会が減ったので、メールでの通知は助かります。  先日は、関川夏央『砂のように眠る 私説昭和史1』(中公文庫)というのを知らせてくれました。関川夏央は昭和24年新潟県生まれの文筆家で、わたしは1990年代から、彼の正岡子規、二葉亭四迷、山田風太郎などについての評論や昭和戦後期に関する論考などを面白く読んできました。今回のは1993年に新潮社から出版した本の文庫版です。  内容は戦後に流行った本・・・無着成恭『山びこ学校』、石坂洋次郎の小説、安本未子『にあんちゃん』、小田実『何でも見てやろう』、高野悦子『二十歳の原点』、田中角栄『私の履歴書』についての論述と、その間に、それらの本が出た頃の自分を振り返るような短篇小説が挟まれているという変わった構成になっています。  ここに挙げられている”流行った本”をわたしが一冊も読んでいないのには、ちょっと驚きました。ベストセラーは手に取りにくいというわたしの習慣のせいなのでしょう。  山形県で中学生に生活綴り方を指導し『山びこ学校』として出版(1951年)した無着成恭は、村の貧乏を世間にさらしたと批判され、村を追われたそうです。後に彼はラジオの「こども電話相談」でも知られるようになり、わた…

続きを読む

掘ったイモ?

 ふるい話ですが、15歳の江利チエミは1952年に「テネシー・ワルツ」を唄ってデビューしましたが、レコードのB面は「Come on-a my house 家へおいでよ」だったそうです。この歌は前年、アメリカでローズマリー・クルーニーが唄って大ヒットした曲です。  この歌の作者をみて驚きました。ウイリアム・サローヤンとあります。調べてみると、やはり『わが名はアラム』を書いた小説家でした。サローヤンは劇作家でもあったのですが、これは彼のミュージカルの中の歌だったのです。彼は俳優で作曲家の従兄弟と作詞・作曲をしたのです。ともにアルメニア移民の子供でした。  子供のころ、江利チエミが、♪ Come on-a my house ♪ と唄っていたのを憶えていますが、今になって、曲名にある「-a」って何んだろう? と不思議に思いました。「a」と「my」と二重なのも変だし、ハイフンも意味不明です。  歌の解説をみると、「come on to my house」の省略形とのことです。「want to」が「wanna」となり「going to」が「gonna」となるのと同じで、発音によるつづりなのだそうです。  英語では単語の頭にある破裂音(p t r b d g)は発音するが、最後のは発音しないか、しても弱くし、単語の中ほどの破裂音も発音しないことがあり、次の単語の母音と結びつくようです。「good night」は「グッナイ」に「cut」は「カッ」、「and I」は「…

続きを読む

お寺巡りは歴史歩き

 散歩がてら久しぶりに粉河寺へ行って来ました。紀ノ川沿いに30キロほど遡った右岸側に在ります。西国三十三所巡礼の第三番札所です。第一番は那智の青岸渡寺、第二番は和歌山市の紀三井寺です。                                              (粉河寺 大門)  粉河寺の創建は 770年とされています。平安時代の清少納言は『枕草子』に <寺は 壷坂。笠置。法輪。靈山は、釋迦佛の御住みかなるがあはれなるなり。石山。粉河。志賀。*> と書いています。彼女が生きたのは仏教伝来から 500年くらいの頃です。  現代人が寺を選ぶとすると、薬師寺とか唐招提寺とか建築や仏像の印象を基に考えることが多いのでしょうが、清少納言はまず最初に壷坂を挙げていますが、何を目安に選んでいるのでしょう?   壺阪寺は奈良県の吉野の北方にある西国第六番札所ですが、いつからか眼病に霊験があるとして、人形浄瑠璃の『壷坂霊験記』という演題にもなっています。わたしも小学生のころ誰だったかが、「お里・沢市」の物語を唸っていたのを憶えています。  笠置寺は京都府の南方にある巨石の磨崖仏で知られる寺です。古くからの巨石信仰(磐座いわくら)に仏教が重なっているのでしょう。清少納言から300年ほどして、後醍醐天皇がたてこもり、鎌倉幕府軍に焼き払われています。  法輪寺は京都嵐山にある寺で、十三歳になると「十三まいり」をする寺として知られているそうです。…

続きを読む