冬の蕪村

 大寒も過ぎましたが、秋と春が短くなって季節感が曖昧になってきました。『蕪村句集』*の「冬之部」を眺めて、与謝蕪村が捉えた冬を感じてみます。    たんぽゝのわすれ花あり路の霜  小春日和に咲いたタンポポの帰り花の黄色が、霜の白さに対比されています。ありふれた路傍の花ですが、不思議なことに「タンポポ」という言葉は江戸時代になって初めて出現したそうです。和歌にも見かけない花です。    磯ちどり足をぬらして遊びけり  千鳥の動きが目に見えるようで見事です。ただ、なぜ「千鳥」が冬の季語なのかは分かりにくい。 歳時記**によれば、紀貫之の「思ひかね妹(いも)がり行けば冬の夜の川風さむみ千鳥鳴くなり」などの和歌が『拾遺集』(巻四 冬)にあることから、千鳥は冬とされるようになったらしいとのことです。    こがらしや何に世わたる家五軒  木枯らしの吹く中に、家が五軒ほどかたまって見える。辺りに広い田畑もなさそうだが、何をして暮らしているのだろうと、思いやる気持ちが感じられます。「夏之部」には「五月雨(さみだれ)や大河を前に家二軒」というのがありました。    葱(ねぶか)買(かう)て枯木の中を帰りけり  冬枯れの木々の間にネギの緑が鮮やかです。これから帰って鍋にでもするかといった温かみが漂っています。わたしも子供の頃、「ねぶか」と言っていました。    斧(をの)入(いれ)て香(か)におどろくや冬こだち  葉を落として枯れたような冬の木立も、斧を入れると新鮮な木の香り…

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伝記の読み応え

 昨年末、毎日新聞の2024年「この3冊」で詩人の荒川洋治さんが野口冨士男『散るを別れと』(小学館)を推薦していたので、早速、読んでみました。永井荷風に影響を与えた井上唖々という人についての「夜の烏」、ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)の夫人・小泉節子の話「残りの雪」、明治の作家・斎藤緑雨の生涯についての「散るを別れと」の3作からなっていました。  なんともマニアックな人物を取り上げたものです。しかも伝記という訳ではなく、小説仕立てになっていて、登場人物たちが対象人物について語り合ったりする仕掛けになっています。  「あとがきに代えて」で著者は < 読者にもすこしは楽しんでもらえるような伝記文学の方法はないもんかと考えた末にたどり着いたのが、想像や空想も挿入できる小説と伝記のドッキングというスタイルであった。 > と書いています。伝記に嘘は書けない、かと言って、どうしても分からない事がある、伝記作者の苦悩を緩和する試みなのでしょう。  では、この3作は成功しているのでしょうか? 荒川洋治は成功として推薦しているのでしょう。わたしは、うーむと首を傾げたくなりました。ちょっと策に溺れ過ぎではないのか? 文章家として定評のある著者ですので、随筆風にでも書いてくれればそれで充分だったのではないでしょうか?  伝記といえば少年・少女向けの偉人伝を小学生の頃に親しんだ人は多いと思います。ナイチンゲールとかナポレオンとか、こども達の心の成長にそれなりに寄与したのでしょう。青年期にな…

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宮子姫の話

 1月7日、道成寺へ参って来ました。自宅から車で南へ45分くらいの距離です。驚いたことに境内には誰も居ず、わたしたちだけで、しばらくして、二組の人とすれ違っただけでした。仁王門も本堂も開いているのに、参道の両側に並ぶ土産物屋は皆んな閉じていました。駐車場で料金を払おうにも人が居ないので、とりあえず停めて、帰りに払うことにしました。お寺か商店街の定休日だったのでしょうか? 混雑を予想していたので、不思議な気持ちになりました。  道成寺といえば安珍・清姫の話が有名ですが、そもそもの寺の縁起では「宮子姫」の物語が知られています。それは・・・九海士(くあま)の浦の漁師夫婦に子供が無かったので、八幡宮に祈願すると女児が誕生し、宮子と名づけました。ところが赤ん坊は毛髪が生えませんでした。夫婦は悲しんでいたのですが、ある日、海女である妻が海に潜ると、光るものを見つけ、それは黄金の観音像でした。  夫婦が観音像に祈っていると、宮子に美しい長い黒髪が生え、髪長姫と称ばれるようになりました。宮子が髪を梳いていると、鳥が黒髪を一本啄み、奈良の藤原不比等の館に運びました。不比等はこの美しい髪の持ち主を探させ、宮子を見出します。持統天皇は宮子を不比等の養女とし、我が子の皇子に嫁がせ、宮子は文武天皇夫人となりました。697年のことです。宮子は皇子を出産し、後の聖武天皇となります。  宮子は望郷の思いにとらわれ、黄金の観音像も気にかかり、文武天皇は紀道成に寺院を建立し、観音像をまつるよう命じます。701年のこ…

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巳年の話

 今年は巳年ですが、ヘビといえば思い出す話があります。熊野古道の中辺路に真砂(まなご)という所があります。富田(とんだ)川のほとりです。いつの頃か、奥州白河から熊野詣に安珍という若い修行僧が来て宿をもとめます。宿所には清姫という娘がいて、安珍に懸想しますが、安珍は修行中の身にて帰路にまた寄ると言って旅立ちます。清姫は待ちますが、遅いのであたりを尋ねまわると、その僧ならもう通り過ぎたと聞き、追いかけます。  安珍は日高川を渡舟に乗って渡っています。清姫が呼びかけますが、舟は戻らず、清姫は思いが昂じ、ヘビになって川を泳ぎ、追いかけます。安珍は恐れをなして道成寺に逃れ、鐘を降ろしてその中に隠れます。大蛇は鐘に巻きつき火を吐いて鐘もろとも安珍を焼き滅ぼします。その後、清姫は入水したということです。  なんとも激しい女人の姿ですが、御坊市の近傍にある道成寺では、代々の住職が安珍清姫の物語絵巻を見せながら、ユーモアをまじえ絵解き説法をしています。わたしも先代の住職の時に聞き、話芸ともいえる語り口に感心したのを憶えています。最後は道成寺の住職の読経によって安珍も清姫も成仏し、二人は熊野権現と観音菩薩の化身であったことが分かるという話になっています。  この話からは、恋情の危険さ、迂闊な約束は身を滅ぼすという教訓や、今で言えばストーカーとも言え、カルメン同様の南国女性の特質なのか、また激烈な情熱が権現や菩薩に通ずるのか? 神と仏の混淆など、色々な想いが頭に浮かびます。話の経緯は熊野だけでなく、何…

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