鉄道の東海道本線が関ヶ原を通っているので、昔の東海道が草津から東へ鈴鹿越えだったことを忘れます。やはり木曽川や長良川を避けたのでしょうか。東海道は天竜川、大井川、富士川など大河を渡らねばなりません。長雨が降れば足止めになります。
中山道は川沿いに行くので予定が立てやすかったのでしょうか。それにしても、山道が楽だったとは思えません。下諏訪から霧ヶ峰のほうへ和田峠を越えて軽井沢、碓氷峠とたどって行きます。
以前、茅野の南にある杖突峠に行ったことがありますが、八ヶ岳の麓から甲州方面へひらけた広大な展望は爽快でした。なぜ中山道は甲州街道をたどらなかったのでしょう。分からないことがいろいろあります。
昔のひとの健脚には驚きます。芭蕉は更級紀行の翌年、いよいよ奥の細道に出かけます。
旅人とわが名よばれん初しぐれ
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