繰りごと

 最近、睡眠時間が短くても、ねむり足りないという気がしません。4、5時間で目が覚めて、あとはうつらうつらとしています。高齢者の体になったのでしょう。

 もともとやせているのですが、仕事でたいしてからだを使うわけでもなく、運動をするでもないので、筋肉量が減って、体重も落ちているようです。

 ここ数年、自分の写った写真をみると、少し驚きます。自身の予測以上に顔かたちが年いって見えます。これは誰だ ?

 若いころ、老人はからだも精神も老いているのだと思っていましたが、今になってみると、案外、気持ち、気分は変わらないもののように思えます。

 だれだったか、人はいくら年とっても賢くはならない、利口になるだけだと言っていましたが、はたして、すこしは利口になれたんだろうか・・・それも疑わしいかぎりです。

  #「進化の途中」https://otomoji-14.blog.ss-blog.jp/2017-09-19

この記事へのコメント

  • chonki

    若いころ、若いということは未熟で恥ずかしいという意識がありました。早く大人になりたいと思っていたのです。結婚して子供を産んで育て、社会にいくらかでも役に立って、人間としても成熟していく・・・そういうものだと考えていました。何人もの孫がいる年になって、下手をすると変質したり腐敗したりはしそうだけれど、成熟するというのがどういうことかもうひとつよくわからないままです。あとは年寄りを見送れば私の社会的な責任はもう何もないと思っています。孫と遊んだりするのは愉しみで責任などというものではない。したくないことは何もしなくてもよいという理想の時代がきたのです。さてそれでお前は何をするのか???
    2015年05月16日 21:26
  • 爛漫亭

    成熟といえば『成熟と喪失』を書いた江藤淳が、鬱的に他界したのが66歳でした。そのとき、成熟するというのは幻想だと強く思いました。だんだんと枯れてゆくしかないのでしょうかね。
     そういえば、昔、三島由紀夫の『綾の鼓』をやりましたね。年たけたからこそワナにはまる・・・そんなはなしじゃなかったか?
    2015年05月17日 22:36

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