この間から読んでいるチェーホフの晩年の小説は、みんなクリミア半島のヤルタで書かれています。1899-1904年のことです。
チェーホフの20歳年上のチャイコフスキーの交響曲第2番は「小ロシア」という題がついています。ウクライナのことだそうです。
明治以来、日本では四書五経や漢詩の中国に変わって、小説や音楽、政治などロシアの影響を多大に受けました。日露戦争はちょうどチェーホフが他界した年に始まっています。日本では夏目漱石が『吾輩は猫である』を書いている頃です。
そういえば家内の実家の近く、淡路島で生まれた高田屋嘉兵衛*は1812年、国後島の沖でロシア船に拿捕され、カムチャッカに連行されています。その頃から、あのあたりは両国のしのぎ合う場所だったようです。
*司馬遼太郎『菜の花の沖』の主人公
この記事へのコメント