自伝の楽しみ

 三月になると寒さはましになって、風呂上がりに本を読んでいると、自然に眠くなってきます。福沢諭吉の『福翁自伝』(ワイド版 岩波文庫)は眠前に丁度いい愉快な本です。たとえば酒癖について

 「生まれたまま物心の出来た時から自然に数寄でした。・・・幼少のころ月代を剃るとき、頭の盆の窪を剃ると痛いから嫌がる。スルト剃ってくれる母が『酒を給べさせるからここを剃らせろ』というその酒が飲みたさばかりに、痛いのを我慢して泣かずに剃らしていたことは幽かに覚えています。」というのが幼時の記憶だそうです。

 緒方洪庵の塾にいるとき「あたかも一念ここに発起したように断然酒を止めた。・・・親友の髙橋順益が『君の辛抱はエライ。・・・酒の代りに煙草を始めろ。・・・』と親切らしく言う。・・・忌な煙を無理に吹かして・・・凡そ一カ月ばかり経って本当の喫煙客になった。ところが例の酒だ。何としても忘れられない。・・・五合三合従前の通りになって、さらば煙草の方はのまぬむかしの通りにしようとしても、これも出来ず、馬鹿々々しいとも何とも訳けが分からない。」といった調子で、一万円札の顔があたかも動きだすような感じです。

 安政三年、塾生の諭吉が腸チフスになったとき、緒方洪庵は「乃公(おれ)はお前の病気を屹と診てやる。診てやるけれども、乃公が自分で処方することは出来ない。何分にも迷うてしまう。この薬あの薬と迷うて・・・病は診てやるが執匙は外の医者に頼む。」といってその通りにしたそうです。 諭吉は今にも緒方先生の深切を忘れぬと言っています。

 しばらくは寝る前の読書が楽しめそうです。



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