三十年ほどまえ、奈良の長谷寺へ行って、牡丹を買ってきたことがあります。玄関の横に植えたのですが、花が終わると枯れてしまいました。 花に詳しい叔母に話すと、花は切って植えないと、負担が大きくて根付かないとのことでした。
牡丹散て打ちかさなりぬ二三片 (蕪村)
牡丹は寺院の前栽にみかけることが多いようですが、奈良時代に中国に渡った留学僧が持ち帰ったからだとされているそうです。 白楽天は「牡丹芳」に
花開き花落つること二十日
一城の人皆狂(たぶ)れたるが若(ごと)し
と詠んでいるそうです(久保田淳『古典歳時記 柳は緑 花は紅』小学館ライブラリー)。
また同書には、古典和歌では「牡丹」という字音を避けて「深見草 ふかみぐさ」というと書かれています。
夏木立庭の野筋の石のうへに満ちて色濃きふかみ草かな (慈円)
初夏に清々しく、華麗に咲く花は見事です。おもいつけばまた、長谷寺か当麻寺に出かけてみたいものです。
ちりて後おもかげにたつぼたん哉 (蕪村)
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