本箱に30年ほどまえ叔父がくれた本が何冊かあります。古本屋でみつけた物のようで、「読んでみたら」という感じだったのでしょう。人に勧められた本は、案外、読まないでそのままになってしまうものです。巣ごもりで読む本がきれたので、それらの一冊を取り出してみました。
野見山暁治(1920-)という画家のエッセイを集めた『絵そらごとノート』(筑摩書房)という本です。先日は小説家の開高健がユトリロについて書いたのを読んだのですが、画家の野見山はユトリロについて・・・
<この飲んだくれの男にとっては、夜、寝ころぶには冷たい石畳の道であり、昼は夜よりも悲しい塀の道が続いているだけだ。ユトリロは、華の都を描きはしなかったが、だからといってパリの裏町を描いたわけではない。/ ユトリロは、自分の生涯住みついたごく小さな界隈だけを見つめて死んだのだ。その見つめる心情の一途(いちず)さが私たちの胸を打つ。>
<よくよく見ると、ヘタクソな絵だ。筆の運びはおそろしく拙く、(中略)これはまぎれもない素人の絵だ。(中略)しかし逆に、このたどたどしさを誰が持ちうるか。>
と書いていました。絵画の魅力とは何なのかを気づかせてくれます。<私は若いころ雑誌ではじめてユトリロの風景を見たとき、その垂れこめた空の美しさにひかれた。> とユトリロとの出会いを振り返っています。なんとはない街の景色がひとのこころを捉える秘密が書かれているようです。
パリ在住時の愉快な思い出話も出てきます。
<左岸の狭い画廊街を、エルンストは自分の小品を持ち歩いて、なんとか金に替えようとしていたらしい。古びた復員服の外套を着こんだ細いうしろ姿を、私はしばしば行きずりに眺めたのだ。/ エルンストという、世界に知られた画家のこんな姿は信じられない。その頃、エルンストはピカソの贋物をつくり、そっと画商のところに持っていったという話もある。画商からの問合せをうけたピカソは、本物だと答え、後日、エルンストに連絡して、きみはぼくのサインを使ってよろしい、とこの若い画家への敬意と友情を示したという逸話が残っている。>
野見山暁治がどんな絵を描くのか、わたしは見た記憶はありません。エッセイ集が何冊も出ていて、1978年には日本エッセイスト・クラブ賞をもらっています。画家という人はどんな風に絵や物を見ているのか、どんなことを考えているのか、違った世界が楽しめそうです。
(ちなみに2014年に文化勲章を受章し、現在も100歳でご健在のようです。)
この記事へのコメント
middrinn
司修『戦争と美術』(岩波新書,1992)が引用するのを孫引きしたことがありますが、
全く調べなかったので文筆家としても名を成していたとは知りませんでした( ̄◇ ̄;)
そらへい
いろいろな人がいろいろな見方をしていて
そこから興味の糸をたぐっていくと
数珠つなぎに世界が広がって行きます。
本の世界は面白いですね。
知らないことだらけだと言うことを知らされます。
爛漫亭
エッセイスト・クラブ賞をもらったようです。
いろんな才能のある人ですね。
爛漫亭
ベートーヴェンに比べれば大したことではないと
楽観しています。気にしないことが一番です。
60年、本を読んでも、まだまだ読み足りない
感じですね。