自然と人の物語


 振り返ってみると、わたしは「自然」というものには余り関心がないようです。星座とか宇宙の起源とか天体現象に強い興味を持ったことはなく、星座盤を買った覚えがあるのですが、星空を観察した記憶はありません。星座盤は宮沢賢治の影響だったかも知れません。



 子供の頃は蝉採りくらいはしましたが、昆虫採集はしなかったし、犬や猫を可愛がったこともありません。30歳代に植物図鑑を買って車に積んでいましたが、植物好きだった叔父の影響だったのでしょう。



 海や川や池で魚を釣ったりする趣味もありません。40歳代に毎週のように、家族であちこちの池や湖でバス釣りをした時期があり、諏訪湖や河口湖にも出かけましたが、長男が一時バス釣りに熱中していたせいです。長男が家を出ると、もう誰も釣りはしませんでした。



 山を眺めるのは好きですが、登るのは苦手です。一度、家族で伯耆大山に登ったことがあり、山頂からの日本海の眺めは良かったですが、下山時に膝が効かなくなり苦労しました。以後、山登りはしていません。森の中にいると気分がいいのですが、道を蛇が横切ると引き返したくなります。わたしの自然との関わりはこの程度で、山麓をドライブし、深田久弥『日本百名山』を読むくらいのことです。



 自然には関心が少ないのですが、人間には興味があります。「人間の自然」というのも自然の一部なのでしょうが、こころを含めての人間の有り様にはいつも関心を持っています。ヒトにはどんな側面や可能性があるのかを知りたいという欲求です。



 こんな事を考えたのは、高橋敬一『「自然との共生」というウソ』(祥伝社新書)という本を読んで、ごもっともと思う以外に、感想が思い浮かばなかったからです。著者は <「共生」とは郷愁の命じるまま新しい時代を古い時代へと引き戻すことではなく、むしろ親しいものを永遠に失うことの痛みに耐えながら、得体の知れない新しいものを受け入れていくことだ。> と述べていました。



 ヒトは基本的に他の生物と同じように、「ヒトの自然」を生きていて、外界とは緊張関係にあり、気温、酸素濃度、感染・疾病・遺伝情報、食うー食われる、子孫を残すなどの条件の下で暮らしていると思っているので、著者の「自然との共生」への疑問には、そうですねと同感するばかりでした。



 ♪兎追いしかの山 小鮒釣りしかの川♪ と自然との共生の想いにひたるのは、誰しもふとおちいる感慨ですが、ヒトにとって外界は常に反応しなければならない刺激です。



 とはいえ、人は山、川、犬、猫などと外界に名前を付け、星を結んで星座を作り、弘法大師の掘った井戸、西行が休んだ柳などと伝説を生み出し、世界創造神話のように、自然を物語として取り込んで生きてきたので、自然環境改変の現状に「自然との共生」という物語が形成されるのも人間の有り様の一面だろうと思えます。



 物語といえば、6600万年前の巨大隕石との衝突によって、恐竜が絶滅し、哺乳類が誕生したというのも、生物を支配しているのは遺伝子であるというのも、現代の神話といえるのかも知れません。





「自然との共生」というウソ (祥伝社新書)

「自然との共生」というウソ (祥伝社新書)

作者: 高橋敬一 出版社: 祥伝社 発売日: 2013/11/15 メディア: Kindle版


この記事へのコメント

  • yoko-minato

    なんかちょっと共感しましたね。
    でもいろいろ造形が深い方だと
    思いました。
    私はそういう意味では何に夢中に
    なったかな~と・・・
    学生時代水泳に明け暮れて過ごし
    休日もない日々でした。
    それが未だに泳げる幸せ・・・夫も
    共に行くようになり唯一私の取柄です。
    NHKの「300名山」に夢中になりました。
    自分では登山できず、でも自然の山の
    美しさに触れるだけで夢中でした。
    2024年07月24日 17:17
  • そらへい

    『「自然との共生」というウソ』
    確かに、共生という名の人間のワガママ、エゴですね。
    私は田舎育ちでしたが、若い頃は自然はあまり興味のない方でした。
    そのくせ旅をすると、田舎や自然に惹かれたものでした。
    自然に興味を持つようになったのは、60歳前後からだと思います。
    肩の力が抜けると周りに自然がありました。
    その分、人へのこだわりは少し薄れた気がしています。
    2024年07月24日 20:09
  • 爛漫亭

    yoko-minatoさん、水泳に熱中されたのですか、わたしの
    同時代には木原光知子さんというアイドル・スイマーがいまし
    たね。わたしは海辺の村で生まれましたが、泳げるようにな
    ったのが遅く、兄弟で唯一、浮き輪を買ってもらい兄達に笑
    われました。
    2024年07月24日 22:01
  • 爛漫亭

    そらへいさん、ブログの写真や記事から、自然や社会に
    溶け込んで暮らされている様子がうかがわれます。自然体
    ですね。わたしは故郷を離れた浮き草生活のためか、今だ
    に何か周囲にそぐわない感じがぬぐえません。
    2024年07月24日 22:19
  • tai-yama

    私はどちらかというと人間に興味がないと(笑)。
    クワガタ・カブトムシは当たり前の世代です。今の子供達は
    クワガタやカブトムシすらゴキブリ扱いでさわれないし・・・・
    シマヘビはどかないけど、マムシは道からどいてくれますよ〜。
    2024年07月24日 22:56
  • 爛漫亭

    tai-yamaさん、生の自然は扱いにくいですが、人間は
    「話せば分かる」という安心感があるのでしょうかね。
    人間も生な人は扱いにくい?
    2024年07月25日 08:46
  • chonki

    以前、同じ著者の「昆虫にとってコンビニとは何か」というのを爛漫亭さんが紹介されていて意外に思ったことがありました。確かに田舎のコンビニの灯火にはクワガタやカブトムシが集まってきて、なかなか良い採集ポイントなのです。私などはもう60年以上も昆虫を捕まえて標本にし続けているので、そういう場所では拾って帰る虫はいないかと見まわしてしまいます。爛漫亭さんにそんな趣味はないはずだし・・と思ったわけです。私は人間を含めて生きものに興味を持ってきました。「自然保護」とか「自然との共生」とかあるいは「sustainable development]とかいう言葉には違和感や嘘くささを感じています。
    2024年07月25日 15:50
  • 爛漫亭

    chonkiさん、お元気そうでなによりです。今年は暑さの
    ためかセミの声がおとなしい気がします。高橋さんは私の
    長男を通じて、一度お会いしたことがあり、著書を読むこ
    とがあります。私は勿論、虫に興味はないのですが、虫に
    捉われる人間には興味があります。
    2024年07月25日 18:55