秋の蕪村





 今年の秋は暑い日が続き、やっと気温が下がったかと思えば曇りや雨で、秋晴れの日が少ないようです。以前『蕪村句集』*の「夏之部」を読んだので、11月になり「秋之部」を見ることにしました。与謝蕪村の表現した秋が楽しめます。既に教科書などで見知っている句も、注釈などによって色々に感じ方が変わります。


   山は暮(くれ)て野は黄昏(たそかれ)の薄(すすき)(かな)

 暮れ残るススキ原の風景でしょう。いつの間にか、すっかり秋になったという感慨が出ています。何ともない句ですが、「山は暮て」が効いているように思います。


   小狐(こぎつね)の何にむせけむ小萩はら


 狐は昔から、「コン、コン」と啼くのでしょうか。それを何かにむせたのかとシャレて詠んだ趣きがあります。花の香にでもむせたのか。蕪村には童話のような句があります。


   白露や茨(いばら)の刺(はり)にひとつづゝ


 観察なのか、想像なのか? 朝の冷たい空気のなかに、白露が並んでいる様子を「ひとつづつ」と描くテクニックに上手いな〜と感嘆します。この句について、一門の輪講会で河東碧梧桐は「厭味(いやみ)がある」と言っています。想像で作ったわざとらしさを感じたようです。記録**には高浜虚子は「面白い句だ」と附記し、正岡子規は「虚子君の附記に賛成」と書いています。

   夜の蘭(らん)(か)にかくれてや花白し

 夜に蘭が匂っていて、よく見ると白い花がある。頭注では風蘭・白蘭(しろばならん)とあります。鉢植えなのでしょう。蕪村はよく花を詠んでいますが、それぞれ工夫を凝らしています。


   月天心貧しき町を通りけり


 蕪村を代表するような句です。頭注には「月光による俗界の美化がねらいで、これも離俗の句」とあります。輝かしい月と夜更けの貧しい町との対比が鮮やかです。「月天心」という言葉は宋詩「月至天心処」(邵康節)に由来するそうです。


   去年より又さびしいぞ秋の暮


 年寄っていく者の素直な気持ちなのでしょう。「ぞ」にユーモアがあり救われます。


   身の秋や今宵(こよひ)をしのぶ翌(あす)もあり 


 頭注では和歌の「長らへばまたこの頃や忍ばれむ憂しと見し世ぞ今は恋しき」(藤原清輔)を俳諧的に要約したもので、娘の離婚問題を抱えていた頃の作かとあります。俳人も世間のしがらみから遁れられた訳ではなさそうです。


   門(もん)を出(いづ)れば我も行人(いくひと)秋のくれ


 「行人」は旅人の謂なのでしょう。枯野をかけ巡った芭蕉への想いと、日暮れて道遠しの感慨が入り混じっているように思います。

 こうして見ていくと「夏之部」の句に比べ、活気が低下している印象があります。秋という季節の影響なのでしょうか? 冬になればどうなるのか、来年1月頃には「冬之部」も読むことにしましょう。『蕪村句集』というのは、天明四年(1784)蕪村一周忌にあたり、門人の高井几董が蕪村の868句を四季に纏めて刊行したものです。


 また、明治31年(1898)から5年間にわたって、正岡子規一門が『蕪村句集』を輪講し、その記録**を雑誌「ホトトギス」に連載、その後、刊行しています。一句ごとに、それぞれの人の解釈や意見が記されていて、面白い読み物になっています。


『新潮日本古典集成 璵謝蕪村集』(新潮社)

**内藤鳴雪・正岡子規・高浜虚子・河東碧梧桐ほか著『蕪村句集講義3』(東洋文庫 平凡社)



蕪村句集講義3 (東洋文庫)



    • 出版社: 平凡社

    • メディア: 単行本







   

この記事へのコメント

  • yoko-minato

    おはようございます。
    最近プレバトを見ていて俳句の面白さは
    分かるのですがやってみると難しいですね。
    こうして解説があるとなるほどと思い
    面白く読めます。
    17音に込められた様々な情景や想いを
    私は読み取ることが出来ません。
    2024年11月06日 06:34
  • 爛漫亭

    yoko-minatoさん、俳句は言葉遊びの一面もあって、
    謎解きのようなところもあるようです。人によって解釈
    が微妙に違っていて、それもまた面白いですね。
    2024年11月06日 10:04
  • そらへい

    蕪村の句を読みながら、
    自分が知っている情景と重ね合わせてみたりしています。
    山や野の風景や花の句は比較的昔と変化が少ないので
    親近感を覚えます。
    朝の散歩、朝露に朝日が当たってキラキラしている光景を
    俳句に詠んでみたいものですが
    ついカメラでと思ってしまいます。
    2024年11月06日 19:25
  • 爛漫亭

    そらへいさん、写真にテクニックが必要なように、俳句にも
    技術がいるのでしょうね。私はただ感心しながら読むだけです。
    やっぱり芭蕉や蕪村は別格ですね。蕪村の句を写真にすると
    いうのはいかがですか?
    2024年11月06日 20:23
  • mm

    こんばんは^^
    句に詠めると言うのは良いですね。以前一度やり始めましたが、わたくしには無理と分かりすぐ止めました(ーー;
    2024年11月06日 21:45
  • 爛漫亭

    mmさん、17文字で創作するというのは難しいでしょうね。
    俳句を作る人は言葉の魔術師のようなものでしょう。どうして
    出来ているのか、美術品をみるように眺めて楽しむだけです。
    2024年11月06日 22:20