先日、散歩のおりに、和歌山城から南へ五百メートルほど歩いて、吹上3丁目まで行ってみました。いつもは車で通り過ぎる場所ですが、この間から読んでいた小説『陥穽 陸奥宗光の青春』(辻原登)の主人公が生まれた所です。
陸奥宗光は天保15年(1844)に伊達宗広の6男として此処で生まれたそうです。父・宗広は本居大平に国学を学んだ人で、藩主・徳川治宝に取立てられ、勘定奉行として藩の財政改革に取り組みましたが、治宝の死後に失脚し、幽閉されました。宗光が8歳の時です。
宗広の妻子は城下から所払いとなり、紀ノ川の上流、高野山麓に追いやられました。その地で、宗光は高野山で学ぶ機会を得、学僧として江戸へ派遣され、そこで桂小五郎や伊藤博文らと出会うこととなり、運命が開けます。
彼は勝海舟の海軍操練所で学び、そこで出会った坂本龍馬の海援隊に加わり、幕末の動乱を生き抜きます。
維新後、明治10年(1877)には西郷隆盛らによる西南戦争に乗じた土佐・立志社の政府転覆計画に加わり投獄されます。
明治16年、伊藤博文らの計らいにより特赦を受け出獄した後、ヨーロッパへ留学し、立憲政治や外交政策を学びます。帰国後は駐米公使や外務大臣となり、「カミソリ大臣」と評された外交手腕を発揮し、幕末に列強との間に交わされた不平等条約の改正を成し遂げました。
小説を読み終えて主人公の出生地に立つと、幕末から明治にかけての、佐幕か勤王か、攘夷か開国か、新しい政治体制をどう築くかという混迷の時代を生きた人物のドラマが幻のように蘇ります。
この記事へのコメント
そらへい
そんな数奇な運命だったのですね。
運もさることながら能力があったからこその維新後の活躍ですね。
敗者復活があった時代、ダイナミックな人生の展開に驚きます。
爛漫亭
濃密な人生ですね。薩長藩閥の時代に、逆境にあっても
引き上げてくれる人に恵まれるのは、それだけ突出した
能力だったのでしょう。弁が立つので嫌う人もあった
ようですが、新時代を拓くには説得力が必要でしょうね。
tai-yama
理由もありそう(笑)。留学の恩も感じて、反政府から政府の要人
になったと(驚)。
爛漫亭
ようですので、若い頃の交情は大事ですね。
yoko-minato
面白いです。
全国から優秀な人が集まってくるのでしょうね。
失脚し幽閉されても力のある人は認められて
大きな仕事をされるものですね。
爛漫亭
戦ったりしながら歴史が作られていくのが面白いですね。
明治維新で出来た国も太平洋戦争に行き着いて崩壊し、
戦後民主政治は何処に行き着くのでしょうね。
chonki
爛漫亭
mm
シーザーブログへ移行されますか?
URLが決まりましたら、教えていただきたいです。
よろしくお願いいたします。
爛漫亭
簡単にできるのなら続けようと思っています。身辺雑記も
長く続くと備忘録になっています。コメントを頂くと、思わ
ぬ視点が得られて有難いです。
mmさんも写真でなくても続けられたら如何ですか。決まれば
連絡させていただきます。