日記というのは後から読むと、書いた時の状況が推しはかられるものです。このブログもそんなものかも知れません。室町時代に20歳から81歳まで、61年間にわたる日記を残した三条西実隆(1455-1537)という公卿がいました。室町時代の暮らしや歴史を知る上で参考になる資料でしょう。
この日記を読み解いた原勝郎という人の『東山時代に於ける一縉紳の生活』という本があります。原は明治末から大正にかけて京都大学で西洋史を講じた先生だそうです。「縉紳」というのは身分の高い人という意味です。足利将軍の元で、公卿がどんな日常生活を送っていたのかが詳細に興味深く記されています。
わたしがこの本を読んでみようと思ったのは、ネットで「青空文庫」を眺めていて目に留まり、この本が『近代日本の百冊を選ぶ』(講談社)に取り上げられていたのを思い出したからです。
それは 1994年に出た本で、伊東光晴、大岡信、丸谷才一、森毅、山﨑正和の5氏が、<今読んで面白い名著を選んでいる。政治・経済・自然科学・文学・漫画にいたるまで、あらゆるジャンルに目配りしている。> と帯に記されているように、明治以来の百年間に出版された本から 100冊を選んで、その選考課程と本の内容を紹介したものです。

近代日本の百冊を選ぶ - 伊東 光晴 大岡信 丸谷才一 森毅 山﨑正和
出版社 講談社 単行本
『東山時代の・・・』について山﨑正和はこんなふうに推薦しています。
<山﨑 (前略)筆致が実に幸せなんですよ。書かれている世界は、決していい時代じゃありません。むしろこの中に出てくる公家も宮廷も、ひどい貧乏生活をしているんですよ。でも、その清貧の生活を書いている原勝郎の筆致は、やっぱり幸せなんですね。(後略)>
三条西実隆は隠居前に内大臣になったのですが、生涯を過ごしたのは応仁の乱後の京都で、荘園制度は地頭などの横取りなどで崩壊しつつあり、年貢が集まり難く、一揆や野盗がはびこる時代でした。著者は日記から実隆は桂川沿いの荘園などから年一万疋の収入があったものと推計しています(現在の金額で如何程なのかは書かれていません)。
当時は一日二食だったそうで、朝食に親しい人を招けば、招いた方は一汁を出し、招かれた方は飯を持ち寄るのだそうです。それほどコメは貴重だったようです。到来ものがあれば松たけ汁とか鯨汁とかになります。実隆は文人、能書家で、『源氏物語』などを頼まれて筆写して謝礼を得たり、将軍・足利義尚に源氏物語を語り聞かせたりし、連歌師・宗祇とも親しく付き合っています。
こんなふうに当時の公家の細々とした日常生活が日記から分かります。原勝郎は西洋史の先生ですが、その眼で日本の中世を描いたのが新鮮だったのかも知れません。原先生は京都大学史上、空前絶後のカンシャク持ちで、恐れをなして学生たちは寄り付かず、教え子の和辻哲郎が自著を献じると、喫茶店に呼びつけられ、半時間にわたり内容をこき下ろされたそうです。学者の面目躍如です。
この記事へのコメント
mm
日記は付けたことないですね~と言うか夏休みの宿題なんかで出されても、書くこと無し。
でも事細かに見て書いていれば、昭和戦後の家庭生活が垣間見えたかも^^
日記は歴史の一級資料ですね。
爛漫亭
ブログが10年続いているのが不思議ですが、ブログは
日記と違って、外に向かって発信するからなのでしょ
うか?
mmさんはコメントをどしどし発信してください!
tai-yama
つけていたら貴重な資料になりそう。
爛漫亭
なるでしょうね。地方によるガソリン価格の変動とか、
土産物の値段とか。今は常に情報としてGAFAに吸い
取られているのでしょうが・・・。
てんてん
そら
今回SSブログが閉まるタイミングでやめようかと思ったのですが、日記という観点で考えると止められませんでしたねぇ
一日二食というのは以前聞いたことがありますが
今の私じゃ到底無理ですねぇ(^^;
爛漫亭
yoko-minato
色々分かりますね。
今時代を振り返るのに残された書物等がとても貴重だと
言うのはよく理解できますね。
絵もそうですし日記をそういう風に考えたことが
無かったのでちょっと衝撃でした。
爛漫亭
当時の出来事や思いが想い出されますね。十年
ひと昔で、案外、自分でも忘れてしまっている
ものです。
そらへい
初めは見よう見まねで少し内面を覗き込めるようになったのは中3だったか高校だったか。いつも日記に話しかけることが多かった気がします。
著名人の日記、よく読んだ気がします。
海外の作家や音楽家、画家、日本の著名人、もともと日記と言うのは公開を想定しないものですが、中には後年読まれるだろうということを意識して書かれたものもあったりしました。
記事に出てくるようなあまり有名ではない人のその時代を映した日記もいいですね。庶民の日記を通じて世相を測ることもできます。そんな分野もあったような。
爛漫亭
いるのですか? それこそ人生の記録ですね。
啄木、荷風、ピープス、アンネとか有名な日記は色々ある
のでしょうが、わたしは日記は書いたことも読んだことも
ありません。
めぎ
爛漫亭
lamer-88
大事なことと解りながら出来てません。
ブックでなく電子図書になっても、宝の持ち腐れ。
いけません。
爛漫亭
本がたくさんあって、眺めているだけでも楽しいですね。
そらへい
探したこともないので。
20代の頃のは残しています。
後年はPCに書き残しています。
lamer-88
いっぷく
爛漫亭
爛漫亭
tarou
25/02/12 08:52:21
You
(M106073074097.v4.enabler.ne.jp)
Re: (爛漫亭)
> 学生のころ、仙山線に乗り山寺駅を通過しながら、ここが芭蕉の山寺かと
> 車窓を眺めたのを思い出します。
コメントありがとうございます。
山寺(五大堂)からも山寺駅はハッキリ確認が出来ます。
日記、個人情報が満さい、ある時から書くのはやめました。
爛漫亭
有難うございます。
lamer-88
chonki
爛漫亭
私も十代の頃から何回かお会いしましたね。
そうですか、交換日記ですか、1960-70年代の青年の記録として貴重ですね。金婚の記念として印刷し、子供さんや孫さんに配布されたら如何ですか? 残れば一冊、私にも頂ければ幸甚に存じます。
私は若い頃に、母親の娘時代の日記を読んだことがありますが、今でも心に残っていますよ。
chonki
chonki
母親は正月の雑煮はちゃんと食べましたが、その後食事量が減り1月下旬には我が家へ食事に来れなくなり、2月に入ってからは経口摂取は水分のみ、亡くなる一週前からはポータブルトイレ、2月7日の102歳の誕生日にはおめでとうと呼びかけるとありがとうと返事できましたが,その後確実にバイタルサインは低下、12日の深夜亡くなりました。介護保険の認定はⅡのままでした。まさに大往生です。
爛漫亭
母親を亡くしました。自分が母親より年上になってみる
と、どんな気持ちだったのだろうと思う時があります。