南紀は春に

 急に暖かくなり、天気も良いので、南紀田辺、白浜へ出かけてきました。途中の南部梅林も満開でした。今年の冬は寒かったので、やっと冬を抜けたと何か安心した気持ちになります。宿に着いてベランダから海を眺めると、空も真っ青でした。5年前まで住んでいた場所なのですが、改めて温暖で自然に恵まれた暮らしやすい土地だと思いました。  家内は何か用事があるからといって、生協とか市場へ出かけました。わたしはベッドで横になっていると、いつのまにか昼寝になっていました。家内はわたしの胸焼け予防用に牛乳を買って来てくれました。窓の外は太陽が沈みかけ、空は夕焼けでした。眺めていると、夕陽は海に没するのではなく、水平線上にかすかに見える陸地に隠れていきます。四国の日和佐のあたりのようです。まだ冬の名残りで、大気が澄んでいて、遠くまで見えるのでしょう。家内に「あれは四国だよ」というと、信じかねるように驚いていました。  翌日は、かっての同僚ご夫妻に昼食をご一緒してもらいました。元の職場の様子や、それぞれの日々の暮らしぶりなどを久しぶりに喋りあい、場所を変え、近くの図書館の庭でコーヒーを飲みながら歓談しました。彼は最近になって梅棹忠夫の本を読んでいると言っていました。「梅棹忠夫?・・・ウーム」、何か昔に読んだとは思うのですが、とっさには内容が思い出せませんでした。わたしは今読んでいるエマニュエル・トッド『西洋の敗北』が面白いことを伝えました。  漁港の近くで、イカの一夜干しを買いました。やっぱり南紀は魚介類が美味…

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また吉野山散歩

 大相撲・初場所で活躍したのは金峰山(きんぼうざん)ですが、奈良県の吉野山から山上ヶ岳にかけては金峰山(きんぷせん)と称ばれます。国宝の蔵王堂が建っている所は金峯山寺です。カザフスタン出身の力士の四股名がなぜ金峰山なのか不思議です。千秋楽に巴戦となり、大関・豊昇龍が力の差を見せつけ、横綱昇進となりました。  先日、晴れて風もなかったので、1年ぶりに吉野山へ散歩に出かけました。不思議なことに観光客も参拝者も全く無く、土産物屋もほとんど閉まっていました。正月に行った道成寺と同じ様でした。広大な駐車場にポツンと車を停めて、蔵王堂まで歩きました。  参道は元々、尾根道なので、ちょっとした登り坂です。食堂や土産物屋は「吉野建て」という建て方で、道から見ると平屋で、裏から見ると二、三階建になっており、谷の桜が窓一面に眺められるようになっています。仁王門に着いたころには息があがっていました。以前はこんな事はなかったので、加齢という現実に向き合わされました。                                 (金峯山寺 蔵王堂)  蔵王堂ヘ来るといつも思い出すのは、もう50年近く前、初めて参拝したおりに堂内を案内してくれた若い修行僧の姿です。摺り足で歩いているようなのに、飛んでいるのかと思うほど身軽で素早く、忍者ってこんな感じだったのかと思った記憶があります。あの修行僧も今では老僧になっていることでしょう。  復路、ぜんざいでも食べたいなと思ったのですが、適当な店が開いていません…

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宮子姫の話

 1月7日、道成寺へ参って来ました。自宅から車で南へ45分くらいの距離です。驚いたことに境内には誰も居ず、わたしたちだけで、しばらくして、二組の人とすれ違っただけでした。仁王門も本堂も開いているのに、参道の両側に並ぶ土産物屋は皆んな閉じていました。駐車場で料金を払おうにも人が居ないので、とりあえず停めて、帰りに払うことにしました。お寺か商店街の定休日だったのでしょうか? 混雑を予想していたので、不思議な気持ちになりました。  道成寺といえば安珍・清姫の話が有名ですが、そもそもの寺の縁起では「宮子姫」の物語が知られています。それは・・・九海士(くあま)の浦の漁師夫婦に子供が無かったので、八幡宮に祈願すると女児が誕生し、宮子と名づけました。ところが赤ん坊は毛髪が生えませんでした。夫婦は悲しんでいたのですが、ある日、海女である妻が海に潜ると、光るものを見つけ、それは黄金の観音像でした。  夫婦が観音像に祈っていると、宮子に美しい長い黒髪が生え、髪長姫と称ばれるようになりました。宮子が髪を梳いていると、鳥が黒髪を一本啄み、奈良の藤原不比等の館に運びました。不比等はこの美しい髪の持ち主を探させ、宮子を見出します。持統天皇は宮子を不比等の養女とし、我が子の皇子に嫁がせ、宮子は文武天皇夫人となりました。697年のことです。宮子は皇子を出産し、後の聖武天皇となります。  宮子は望郷の思いにとらわれ、黄金の観音像も気にかかり、文武天皇は紀道成に寺院を建立し、観音像をまつるよう命じます。701年のこ…

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