チェロを聴きながら

 寝ころがってチェロの音色を聴くともなく耳に入れているのは心の安まるものです。特に、J.S.バッハの無伴奏チェロ組曲はチェロの独奏なので、際限がないように低い弦の音が流れ続けます。1720年前後に作曲されたとされていますが、長い間、忘れられていたのですが、1890年に13歳のパブロ・カザルスが楽譜と偶然に出会い、演奏するようになり蘇ったそうです。楽器の練習用に作ったのではないかとの説もあるのですが、カザルスの名と共に敬愛されています。  300年も前の音楽なので退屈に思う時もあり、少し肩が凝る時もあります。ジャズやロックのように刺激的でなく、歌謡曲のように感傷的でもなく、モーツァルト以降の音楽ほど感情量が多くないので、BGMには向いています。  発見者・カザルスの録音はSPレコードの時代ですので、わたしは P.フルニエの演奏(1961年録音)で時々、聴いてきました。全6曲あるのですが、それぞれが組曲で、まず前奏曲があり、次に舞曲が5曲あって、それで1組になっています。ただ舞曲がどうも、なぜ舞曲なのか? あまり体を動かしたくなるといった感じではないのです。  他の演奏者ではどうなんだろう? と A.ビルスマ(1992年)、J.シュタルケル(1992年)やM.ブルネロ(2009年)といった演奏家の CDを買いましたが、1~2回聴いて、やっぱりフルニエか...という思いで、そのままになっていました。  ひと月程まえ、昼寝の BGMに、久しぶりにシュタルケルが演奏した CDをかけて…

続きを読む

日記を読む

 日記というのは後から読むと、書いた時の状況が推しはかられるものです。このブログもそんなものかも知れません。室町時代に20歳から81歳まで、61年間にわたる日記を残した三条西実隆(1455-1537)という公卿がいました。室町時代の暮らしや歴史を知る上で参考になる資料でしょう。  この日記を読み解いた原勝郎という人の『東山時代に於ける一縉紳の生活』という本があります。原は明治末から大正にかけて京都大学で西洋史を講じた先生だそうです。「縉紳」というのは身分の高い人という意味です。足利将軍の元で、公卿がどんな日常生活を送っていたのかが詳細に興味深く記されています。  わたしがこの本を読んでみようと思ったのは、ネットで「青空文庫」を眺めていて目に留まり、この本が『近代日本の百冊を選ぶ』(講談社)に取り上げられていたのを思い出したからです。  それは 1994年に出た本で、伊東光晴、大岡信、丸谷才一、森毅、山﨑正和の5氏が、<今読んで面白い名著を選んでいる。政治・経済・自然科学・文学・漫画にいたるまで、あらゆるジャンルに目配りしている。> と帯に記されているように、明治以来の百年間に出版された本から 100冊を選んで、その選考課程と本の内容を紹介したものです。 近代日本の百冊を選ぶ - 伊東 光晴 大岡信 丸谷才一 森毅 山﨑正和出版社 講談社 単行本  『東山時代の・・・』について山﨑正和はこんなふうに推薦しています。 <山﨑 (前略)筆致が実に幸せなんですよ。書かれている世…

続きを読む

また吉野山散歩

 大相撲・初場所で活躍したのは金峰山(きんぼうざん)ですが、奈良県の吉野山から山上ヶ岳にかけては金峰山(きんぷせん)と称ばれます。国宝の蔵王堂が建っている所は金峯山寺です。カザフスタン出身の力士の四股名がなぜ金峰山なのか不思議です。千秋楽に巴戦となり、大関・豊昇龍が力の差を見せつけ、横綱昇進となりました。  先日、晴れて風もなかったので、1年ぶりに吉野山へ散歩に出かけました。不思議なことに観光客も参拝者も全く無く、土産物屋もほとんど閉まっていました。正月に行った道成寺と同じ様でした。広大な駐車場にポツンと車を停めて、蔵王堂まで歩きました。  参道は元々、尾根道なので、ちょっとした登り坂です。食堂や土産物屋は「吉野建て」という建て方で、道から見ると平屋で、裏から見ると二、三階建になっており、谷の桜が窓一面に眺められるようになっています。仁王門に着いたころには息があがっていました。以前はこんな事はなかったので、加齢という現実に向き合わされました。                                 (金峯山寺 蔵王堂)  蔵王堂ヘ来るといつも思い出すのは、もう50年近く前、初めて参拝したおりに堂内を案内してくれた若い修行僧の姿です。摺り足で歩いているようなのに、飛んでいるのかと思うほど身軽で素早く、忍者ってこんな感じだったのかと思った記憶があります。あの修行僧も今では老僧になっていることでしょう。  復路、ぜんざいでも食べたいなと思ったのですが、適当な店が開いていません…

続きを読む