煮魚の味

 12月になって、早々に寒波です。近傍では高野山に雪が降ったそうです。今年は高野山では熊の目撃が多かったようですが、この雪で熊は冬眠することになるのでしょうか?  一方、インドネシア、タイ、スリランカではサイクロンの発生で大雨、洪水で多大な被害が出ているようです。今まであの辺りではサイクロンの発生はあまり無かったそうですので、これも気候変動の現れなのでしょうか?  話は変わりますが、先日、40代の女性と話していると、「魚を煮たことがない」と言われたので驚きました。女性は南紀・新宮の出身なのですが、そういえば南紀では「魚は生で食べる、食べられないのは焼いて食べる、どうにもならないのは煮て食べる」という言葉を聞いたことがあるので、そういうことになるのでしょう。マグロとかカツオ、サンマなどを食べて成長したのでしょう。  わたしは瀬戸内海の生まれなので、子供の頃からカレイ、アカシタ、ハゲ、メバルなどを食べて育ちました。これらはみんな煮て食べます。焼き魚はベラ、アジなどです。子供が刺身など食べることは無く、お客さんがあった時に、タイやヒラメの刺身がでるくらいでした。大人になるまで生のマグロやカツオは食べたことがなかったかも知れません。  煮魚や焼き魚には小骨があり、のどに刺さったことが何回かありますが、親にご飯を一口で飲み込めと言われ、なんとか取れました。わたしの長兄は魚を食べるのが上手で、母は「あの子の食べた魚は猫もまたいで通る、猫またぎや」と言って笑っていました。父親は中国地方の…

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孔子の嘆き

 毎日、数ページずつ『論語』*を読んでいると、2500年前の孔子が身近な人のように思えてきます。彼も若い頃はいろいろ試行錯誤していたのでしょう。そして15歳で学ぶことを志したのでしょう。  <子はいわれた、「わたしはかつて一日じゅう食事もせず、一晩じゅう寝もしないで考えたことがあるが、むだであった。学ぶことには及ばない。 🔻子日わく、吾れ嘗(かつ)て終日食(く)らわず、終夜寝(い)ねず、以て思。益(えき)なし。学ぶに如(し)かざるなり。  子日、吾嘗終日不食、終夜不寝、以思。無益。不如學也。>  30歳で自立し、40歳になると言動に惑うこともなくなり、君子と交わる機会も増えたのでしょう。自分の経験もまじえて、後日、弟子達に助言しています。  <孔子はいわれた、「上に立つ人(君子)に話をうかがうとき、気をつけなければならないことが三つある。まだ言うべきではないのに言うのを”がさつ”という。言うべきなのに言わないのを隠すという。顔色をうかがわずに言うのを盲目という」。>  こういうのを聞くと、孔子が相手の話をよく聞き、表情をよく見て話しているのが分かります。そして、人々に「仁」とか「徳」といった人格を修養するようにと諭して来た孔子ですが、晩年、日暮れて道遠しの思いからか・・・  <子がいわれた、「世も末だな。わたしは美人を好むように徳を好む人を見たことがない」。  🔻子日わく、已(や)んぬるかな。吾れ未だ徳を好むこと色を好むが如くする者を見ざるなり。>  ふと弟子達のまえで、…

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紅葉の季節

 初冬となって、街路樹やお城の木々が色づいています。役割を終えた木の葉の葉緑素が分解され、黄色くなったり、アントシアニンに変化して赤くなったりしています。「いらなくなった物が、なぜこんなに綺麗なのだろう」というような言葉を読んだ覚えがあるのですが、誰の言葉だったのか思い出せません。   うらを見せ おもてを見せて 散るもみぢ 良寛  紅葉が落下していく様子が捉えられて、優美な印象をうけますが、良寛の辞世の句だと聞くと、また違った思いが湧いて来ます。簡単な言葉で作られていますが、巧く表現するものだと感心します。   猫の子がちょいと抑へる落ち葉かな 小林一茶  風に舞う落葉と子猫の動きがユーモラスにスケッチされています。一茶には猫の句が300 もあるそうです。狷介な人といった一面もあるようですが、小動物に対する眼差しには温みが感じられます。   金色のちひさき鳥のかたちして    銀杏ちるなり夕日の岡に 与謝野晶子  夕日をあびて散るイチョウの葉を「ちいさき鳥のかたち」と見る眼にはロマン的な体質が自ずと現れ、童話のような雰囲気が漂います。   冬紅葉(ふゆもみぢ)冬のひかりをあつめけり 久保田万太郎  冬枯れの景色の中で、紅葉だけが輝いているような...寂しげな情景。   山暮れて紅葉の朱を奪ひけり 与謝蕪村  夕日をうけて浮き立っていた山の紅葉も、日が落ちて夕闇に紛れていく、初冬の一瞬。  作者それぞれに紅葉や落葉を捉えて、季節やこころの情景を表現しています。ことばのスナップ…

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